兵庫県丹波篠山市の「今田町みどり台自治会」がこのほど、同集会所で住民学習会を開き、作曲・音楽家の田中楽風さん(本名・唯介)さん(94)=同県高砂市=が、シベリア抑留の経験をアコーディオンで弾き語った。
楽風さんは1945年2月、陸軍兵士として満州(中国東北部)に渡り、終戦後にソ連軍の捕虜としてシベリアの収容所に送られた。わずかな食事で重労働に従事させられ、仲間は病気や飢えで死んでいった。土木作業をしていた際に山が崩れ、仲間4人が亡くなったこともあった。
同じ収容所にいたベルリン・フィルハーモニー管弦楽団出身のドイツ人捕虜が奏でるアコーディオンの音色に感動し、ソ連軍歌や民謡を習った。49年に舞鶴港に引き揚げ、歌声酒場などで演奏し、59年に高砂市内で楽器店をオープン。現在も作曲したり、音楽教室で生徒を教えている。昨年5月、日本作曲家協会功労賞を受賞した。
住民学習会には約20人が参加。楽風さんが時系列でシベリア抑留から引き揚げまでを語りながら、「さらばナホトカ」「バイカル湖のほとり」など20曲以上を演奏した。「長崎の鐘」を一緒に歌う参加者もいた。
参加した女性は、「わたしたち戦争の知らない世代でも興味深く田中さんの弾き語りを聴くことができた。戦争を二度と起こしてはならないと思った」と話していた。