先祖の没後「400年忌祭」 50年に一度、脈々続く法要 一族21人が参列し供養

2019.12.12
ニュース丹波市地域歴史

本庄家先祖の碑で400年忌祭を開いた一族=2019年12月7日午前11時11分、兵庫県丹波市氷上町上新庄で

兵庫県丹波市氷上町上新庄に多い「本庄家」の本庄一族がこのほど、先祖の没「400年忌祭」を先祖の碑の前で開いた。地元を中心に愛知、奈良の県外を含む一族21人が参列。読経に合わせて焼香し、遠い先祖をしのんで静かに手を合わせた。

過去に同家が調べた資料によると、本庄家のルーツは平氏。平安末期の保元(1156―59年)の頃にこの地を征した。源頼朝から領地を与えられ、氷上郡(現・丹波市)で繁栄したと伝わっているが、墓という証拠があり、「元和5年(1619)12月21日」と没日がはっきりしている本庄兵庫を一族の起源としている。兵庫の子孫は、庄屋を務めた。

普段は、上新庄地区の13戸でつくる「先祖講」で先祖をまつっている。今回は本庄家13代目・本庄良夫さん(71)ら5人が世話人となり、一族に50年に1度の忌祭出席を呼びかけた。

350年忌祭を開いた1976年の資料などを基に47戸に案内し、37戸に連絡がついた。

2度目の忌祭参加は、本庄大一さん(90)と本庄均さん(78)の2人。大一さんは「先祖のおかげで長生きできて幸せ」と言い、前回は最年少だった均さんは「次回も出たい」とおどけた。今回最年少の本庄陽三さん(38)は「自分は無理だろうから、息子にこういうことがあると伝えておきたい」と笑った。

初参加の本庄將男さん(75)=奈良市=は「墓参りに来た時に、忌祭があることを知って参加させてもらった。こんな機会はないこと」と、一族の集まりに感慨を深めていた。

本庄兵庫の父は、来年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公、明智光秀が織田信長に命じられて「丹波攻め」を行った際、隣接する多紀郡(現・丹波篠山市)の八上城主・波多野秀治の味方をしたとして自刃したと伝わっている。

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