「金メダルしか意識しない」 東京パラめざす芦田創さん リオパラで銅メダル獲得

2020.01.06
ニュース丹波市地域地域

地元の小学校で速く走るコツを伝える芦田さん=2019年11月26日午後2時45分、兵庫県丹波市山南町和田で

2016年リオパラリンピック4×100メートルリレー(T42―47=四肢欠損 関節可動域制限など)で 銅メダルに輝き、専門の走り幅跳び(T47)では12位に入った、兵庫県丹波市出身の芦田創(はじむ)さん(26、トヨタ自動車)。もちろん、今年の東京パラリンピックでの活躍をめざす。「目指しているのは金。金メダルしか意識していない」と気を吐き、「東京パラ出場に向け、それなりのことはやっている。自分に意識を集中させ、結果はついてくると自信をもって挑みたい。『金をとる』。自分ならできると信じている」と力を込めた。

1993年12月8日生まれで、12歳まで丹波市氷上町で過ごす。右ひじが脱臼した状態で生まれ、幼少期、脱臼治療の過程でデスモイド腫瘍ができた。摘出手術や放射線治療を繰り返すうちに右腕の成長が止まり、機能障害となった。

走るのが大好きだった芦田さん。15歳の頃、半ばあきらめた気持ちで陸上を始めると、腫瘍の進行が止まった。進行が止まったことで、腕を切断しなくて済んだものの、体の右側は10歳、左側は大人。腕の重さが左右で2キロも違うという。

陸上競技に励んだが、努力した分の結果が返ってきたのは1―2年くらい。伸び悩み、けがが続いたとき「自分には障がいがあるから何をしてもだめだ」と思うようになったという。「つまらない」と思いながら陸上を続けていた20歳の頃、コーチから「障がいに甘えるな」と言われた。「この言葉が自分を変えた」と話す。

昨年11月11日、ドバイの世界選手権の走り幅跳びに出場し、6メートル85を跳んで6位入賞。4位以内で内定する東京パラ代表を決めることができなかった。「内定を勝ちとることができず、とても悔しいが、これが今の実力。今年4月に代表選考がある。内定ラインの世界ランキング6位以内に入れるよう、これから公認試合でランクを上げにいく」と前を向いた。

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