「My助産師」という言葉をご存じだろうか。”お産の先進国”ニュージーランドなどにあり、女性の妊娠から出産、産後まで同じ助産師が寄り添い、継続してケアに当たる制度だ。同制度を参考に、兵庫県丹波篠山市が昨年から妊婦への助産師派遣の取り組みを始めている。日本の市町村レベルでは先進的と言える制度で、中核病院の分娩休止を機に創設された。My助産師とは何か、期待される効果は―。産科医の減少により、地域の分娩機能が集約化されつつある今、「産む」ということに向き合い、よりよい出産につなげようと奮闘する人々の取り組みを追った。3回にわたって連載する。(森田靖久)
不妊、流産…不安に拍車
玄関を入ってすぐの部屋に置かれた真新しいベビーベッド。かわいらしいぬいぐるみも、もうすぐやってくる「新しい命」を待っている。
「もうすぐ満月。予定日には1週間早いけれど、なぜか満月の時は出産が増えるの。旦那さんにも一応、準備しておいてもらったほうがいいかもね」
やわらかな陽光が差し込む部屋で、同市在住の助産師・成瀬郁さん(52)が、出産を控えたA子さん(35)に優しく語りかけた。
昨年10月、妊婦のもとに助産師が出向き、さまざまな相談に乗りながらサポートする助産師派遣制度(産前2回、産後1回)を創設した丹波篠山市。担当助産師でもある成瀬さんは、市の制度開始前から、「日本妊産婦支援協議会りんごの木」から委託を受け、「My助産師」を日本でも普及させるためのモデルケースとして、A子さんの専属助産師として活動していた。
同協議会のモデルケースでは、産前3回、産後1回、成瀬さんがA子さんの自宅に出向き、相談に乗る。記者も許可を得て同行させてもらった。
2人はテーブルに座り、お茶を飲みながら、赤ちゃんの話をする。出産時に病院に持っていく持ち物の確認、胎動の状況、A子さんの体調―。問診というよりも、見知った仲の相談といった雰囲気で、穏やかな時間が流れる。
「今日も練習してみましょう。はい、陣痛が来たよ」。ゆっくりと息を吐き、力を抜くA子さん。「自分の口から赤ちゃんに酸素を届けているイメージでね。『力んで』と言われるまでは力を抜いておいた方がスムーズだから」
A子さんは結婚10年目。妊娠を望んでいたがなかなか授からず、不妊治療を始めた。5年前、初めての体外受精で妊娠するも流産。その後も治療を続け、ようやく再び命を宿すことができた。
ついに授かったからこそ、A子さんは不安にさいなまれた。不妊も流産も原因はわからなかったことが拍車をかける。
自分がやってはいけないことをしているのではないか―。食べたらいけないものを食べたのではないか―。どこからかウイルスが入ってきたのではないか―。近くに自身の家族も友人もおらず、相談する相手は少ない。
もし、また消えてしまったら―。
心が折れかけていたとき、妊娠した人が出向く市の「パパママ教室」で、助産師として相談に当たっていた成瀬さんと知り合い、声をかけられた。
「My助産師という制度のモデルケースになってもらえませんか」―。
ストレス溜めこみ「うつ状態」に
成瀬さんの提案に、A子さんはすぐ手を挙げた。成瀬さんに出会ったとき、A子さんは、「ほとんど『うつ』の状態でした」と振り返る。長くつらい不妊治療と流産を経験したことから、再び、自分の体に宿った命が「無事に生まれてきてくれるのか」と極度の不安にさいなまれていたからだ。
2016年、順天堂大学の調査で東京23区(年間約10万人出生)では、うつ病などにより、妊娠中から分娩後1年以内に自殺した女性が10年間に63人いたことがわかっている。それまでの調査と比べて1・5倍になっていた。
厚労省も18年、15―16年で産後1年までに自殺した妊産婦が全国で少なくとも102人いたことを発表。妊産婦の4%が精神的なケアを必要としているとの調査結果もまとめている。日本では年間約90万人が出産することから、ケアが必要な妊産婦は約4・5万人となる。
また、出産前後の「周産期」におけるうつ病は誰にでも高頻度(10―15%)で発症する可能性があることも分かっており、妊産婦の心のケアの重要性が叫ばれるようになってきている。
ただ日常生活に支障をきたさない軽症例が多く、自ら支援を求めるケースは少ない。
A子さんも、食べ物、生活、行動、いろんなことに過度に気を配り続けてストレスを溜め込んでおり、診断こそ受けていないが、うつ病だった可能性が高い。
心身ともにへとへとになっていたA子さんのもとへやってきた成瀬さんは語りかけた。
「きっと、その努力は赤ちゃんに伝わっているから。お産の主導権は赤ちゃんが握っている。自分の産む力と赤ちゃんの生命力を信じてあげて」
訪問を経て、A子さんも少しずつ落ち着きを取り戻していった。それでも不安をぬぐい切るのは難しい。
「赤ちゃんを抱っこするのが怖いんです。落としたらどうしよう、首がゴロンとなったらどうしよう。ガラスみたいな存在に思えて」
そう話すA子さんに成瀬さんはほほ笑む。
「確かに初めて出産したお母さんの中には、なかなか赤ちゃんに手が出ない人もいる。でも、絶対にかわいいから。本能で行ったらいいよ。どうしても不安だったら、ぬいぐるみやタオルで練習してみてもいいね」
この日は産前最後の訪問日だった。
「がんばらなくていいからね」。最後にそう声をかけた成瀬さんにゆっくりとうなずいたA子さんは、「親身になって話を聞いてくださるし、私の性格も家も生活のスタイルも、すべてわかっている助産師さんがそばにいてくれる。ようやく、素直に幸せを感じ、出産が楽しみになった気がします」。
助産師の重要な役割「心のケア」が効果を見せたのかもしれない。
丹波篠山市が導入した助産師派遣は本家・ニュージーランドにある「My助産師」の簡易版。本家では法制度化されており、同じ助産師か、助産師のチームが妊娠初期から分娩、産後のケアまでを継続して提供する。
女性は妊娠がわかると、出産場所よりも先にMy助産師を選ぶ。My助産師は、状況に応じて他の助産師や医師、看護師、保健師などと協働してケアに当たる。
つまり、My助産師とは、妊娠、出産という一大イベントに臨む妊婦にとっての”伴走者”だ。
同協議会によると、切れ目のない継続的なケアを提供することで、早産や死産、異常分娩が減少することが複数の研究で確認されているという。
=(2)につづく。