クライミングを指導
5月に定年退職し、母が一人で住んでいた丹波篠山市の実家に大阪市からUターンした。
18歳のときからクライミングを始め、国体や兵庫県山岳連盟のジュニアクラブでクライミングやボルダリングの指導者として活躍している。
高校時代、新田次郎さんの山岳小説を読んで山が好きになり、就職で神戸に出てから社会人の山岳会に入会。休みのたびに、六甲山の岩場に登り、20代のころには、アメリカ西海岸のヨセミテ国立公園で1カ月、キャンプをしながらクライミングしたことも。
結婚、子育てで忙しい時期は、しばらくクライミングから遠ざかったが、30代前半のころ、近所にジムが増えてきたことがきっかけで再開。今度は選手として大会に出場するようになった。
教える側になったのは、40歳のころ。県山岳連盟の知人から声がかかったのがきっかけだった。「柏原高校ワンダーフォーゲル部がボルダリング競技に力を入れていたときは、大阪から柏原まで来て教えていました。当時強かった子がいて、2度国体に出ました」
代表を務める「兵庫県ジュニアクライミングクラブ」は、王子公園内の神戸登山研修所で月2回活動しており、小中学生20数人が参加している。「クライミングの魅力は、達成感。今までできなかったことができた、という喜びを子どもたちにも知ってほしい」
「全国の岩場をクライミングしたい」という定年後の夢は、新型コロナウイルスの影響でまだ実現に至っていないが、「豊かな自然と親切な人々に囲まれて、幸せな第2の人生を楽しんでいます」。60歳。