兵庫県丹波篠山市在住の河合雅雄・京都大学名誉教授の著書「少年動物誌」を原作に、昭和10年代の丹波篠山を舞台に描いた映画「森の学校」が12月から全国各地で上映される。2002年公開の同映画に子役として出演し、今年7月に30歳で亡くなった三浦春馬さんのファンらの希望を受けたもの。三浦さんは“雅雄役”として出演し、人とのふれあいや豊かな自然の中で成長していく少年の姿を見事に演じた。同映画のメガホンを取った丹波篠山市出身の映画監督、西垣吉春さん(73)に三浦さんの思い出などについて話を聞いた。
土浦市のプロダクションが主宰している児童劇団の試演会で三浦さんを見たのが、初めての出会い。たくさんの子どもが出演しているなか、飛びぬけてうまかった。小学校2年か3年だった。その後もプロダクションの事務所で何度か会った。
「森の学校」の製作に向け、地元の『兵庫丹波の森協会』などの協力で資金集めをし、実現の見込みが立ったとき、彼は、小学校5年生の設定にしていた“雅雄役”の実年齢になっていた。実年齢の子役を起用することでリアルなものが追求できるという考えが私にはあり、彼を雅雄役に抜てきしようと決めた。
子役には2000人ぐらいの応募があり、書類選考を経て100人ほどがオーディションにやってきた。三浦さんも来たが、彼にかなう子はいないと、オーディションの前から彼に決めていた。演技がうまいだけでなく、監督である私と通じ合うものが彼にはあった。
昭和10年代という時代設定の映画なので、男の子は丸刈り、女の子はおかっぱ頭にするのが条件だった。みんな嫌がるものだが、彼は丸坊主になることにそれほど抵抗感を持っていなかった。
間の取り方が実にすばらしかった。これは、教えられてできるものではない。持って生まれたものがあった。のびのびと演じ、生き生きとはばたいてくれた。
でも、彼は、演技をしているという意識はなかったと思う。素の自分をそのまま出していた。作為のない演技だった。そんな難しいことができたのは、彼の天性によるものだろう。
撮影のとき、テストでは演技を控えているという感じが見られた。『手を抜いてないか』と聞くと、『そんなことはない』と言う。もう一回、テストをすると、ぐっとしまる。本番になると、さらにレベルが上がった。本番では、集中度が増していた。また、出番を待っている時間、彼はほかの子役と仲良くしていたが、そんな中でも彼は光っていた。
撮影を通して、この子はきっと将来スターになるだろうと思い、今後は舞台などをして、じっくり育ってほしいと思った。ただ、私たちの世界には「名子役、大スターなし」という言葉がある。そのジンクスを破ったのは、実力に加えて彼の素直な性格によるものだろう。
「森の学校」の主演は、雅雄の母親役の神崎愛さん、父親役の篠田三郎さんだが、三浦さんは映画の場面の中で8割ほど出演した。前から映画に出ていた三浦さんだが、これほど出たのは「森の学校」が初めてだろう。
日本の映画界を背負って立つ大俳優になってくれるはずと期待し、遠くから見守っていた。それだけに訃報を聞いたときはショックだった。そして今、「森の学校」が公開されることに、不幸に乗じているのではないかと、躊躇(ちゅうちょ)した。
しかし、2002年に公開したとき、東北や北関東、四国では上映されることがほとんどなかったこともあり、見ていただきたいという気持ちに変わった。
◆映画「森の学校」 2002年公開。篠山城跡、同市今田町の窯元など、ロケのほとんどが兵庫・丹波地域で行われた。国際交流基金推薦作、文科省特選映画。12カ国語に翻訳され、フランス、ブラジル、中国などで上映され、モスクワ児童映画祭にも招待された。各地の社会教育団体やPTAなどの主催で自主上映会も開催された。このほど、リクエストの多い作品を映画館で上映する「ドリパス」というシステムで12月から秋田、愛知、福岡、京都など各地で上映されることが決まった。チケットの購入についてはTOHOシネマズのホームページで確認を。
◆西垣吉春さん 篠山鳳鳴高校、早稲田大学卒業。東映京都撮影所入所。1982年、初監督以降、テレビ映画、教育映画などの監督を務める。88年「はばたけ明日への瞳」で教育映画祭優秀作品賞、99年「お母ん、ぼく泣かへんで」で文部大臣賞を受賞。京都市在住。