18歳のころ、治療法のない脊髄の病で頸(くび)から下が麻痺になりながらも、「車いすモデル」としてファッションショーなどで活躍している日置有紀さん(31)に、兵庫県から「ひょうごユニバーサル社会づくり賞」の県知事賞が贈られた。年齢や性別、障がいの有無などにかかわりなく、全ての人が地域社会の一員として尊重され、支え合える社会の実現に取り組む人を顕彰するもの。活動を通して障がい者の社会参加と”心のバリアフリー”を推進してきた日置さん。受賞の喜びやこれまでの生活、今後の展望などを聞いた。
外の世界は「バリア」だらけ
―受賞おめでとうございます
賞状をもらうのは卒業証書以来なのでとてもうれしかったです。ユニバーサルな社会づくりを意識してきたわけではありませんが、自分の活動がそんな社会づくりに近いと認めてもらえたと思っています。
―モデル活動などを行うきっかけは
体が思うように動かなくなったとき、ベッドでずっと天井を見ているだけの生活になりました。「絶望」していたと思います。友だちも働き始めてどんどん疎遠になっていく。それが寂しくて、寂しくて。このままでは駄目だと思い、いきなり外に出たんです。
―外に出てどのようなことを感じましたか
車いすの自分にとってはバリアだらけ。まずは当時、ノンステップバスがなかったので、運行してもらえるよう働きかけました。今ではノンステップになり、小さな子どもたちも安全に乗り降りできていると思います。
福祉サービスではいろんなことをしてもらえるけれど、化粧のサービスはないんです。でも、障がいがあってもおしゃれしたいじゃないですか。そこは自分で頑張って練習しましたね。
多目的トイレや障がい者用の駐車スペースなどにも、ベッドが戻してなかったり、斜線部に駐車されたりと、いろんなバリアがあります。私はとにかく自分の周りにあるバリアを取っ払いたいと思ったんです。
「あなた何ができるの?」 やるき出た言葉
その後、日置さんはブログで障がいのある日常のことや便利な福祉用具などを紹介するように。ブログを見た医療者から体験を語ってほしいと講師の依頼を受ける機会も出始めた。そんな中、「障がい者のファッションモデルを探している」という話が舞い込んだ。
―モデルの仕事について
外に出るようになると「仕事をしたい」と思ったのですが、自分にさせてもらえる仕事がなかなかない。「ないならつくろう!」と思って、モデルの仕事に力を注ぐようになりました。
最初のうちは「障がいがある人」ということで仕事をさせてもらっていましたが、少しずつ「違うんじゃないか」と思うようになりました。「できない」「かわいそう」などと、手伝ってもらうことが前提になってしまう。そんな枠の中で活動していてもバリアが減るわけではない。
どうしてもできないところだけは手伝ってもらい、できることは自分ですることが普通の生活につながるのではないかと思いました。
それで一般のファッションショーのオーディションを受けたんです。そこでは審査員の人に、「歩けないあなたに何ができるの?」「何しに来た?」と言われました。
―厳しい言葉ですね。感想は
悔しくて、がぜんやる気が出ました。「何をーっ」って。
全ての壁越える「心のバリアフリー」
2017年、縁あって福岡アジアコレクションに出演。以来、車いすモデルとしてのポジションを確立する。講演活動のほか、テレビにも出演。女優も目指すようになり、昨年は、脊髄損傷のため、車いす生活となったアイドルの猪狩ともかさんが主演する映画「リスタート:ランウェイ~エピソードゼロ」(帆根川廣監督)にも出演を果たした。
―心のバリアフリーを目指していますね
先ほどのバスのように、社会にはさまざまなバリアがあるのですが、例えば点字ブロックは視覚障がいの人の役に立つけれど、車いすの人にとっては別のバリアになってしまう。こんなふうに社会的なバリアを取り払うのには限界があるんです。
自分でどうしようもないバリアに当たったときに、誰かが「手伝いましょうか」と手を差し伸べてくれたら。つまり、健常な人も私たち障がいのある人も、お互いに「声をかけてもいいのかな」という心のバリアを取り払えたら、そのほかのバリアを全部乗り越えられると思います。
活動当初は自分の目の前にあるバリアを取り払いたかったのですが、今では、「心のバリアフリー」がある社会を目指すことで、世の中全体のバリアを取り払えたらと思っています。
―今後の目標は
変わらず、心のバリアフリーを目指します。そして、私なんかが活動できていることを見てもらい、障がいのある人が『自分も外に出てみよう』『芸能活動をしてみたい』と思ってもらえたらうれしいですね。