兵庫県丹波篠山市内の各地に数多くまつられている地蔵それぞれに、建立のいわれや民話が伝わっている。むかーしむかし、地蔵にまつわるこんな話があった。
今から190年ほど前の話―。
当時、大沢村から当野村にかけて広大な泥田が広がっていて、そこには数多くのヒルが生息していたという。
春になると、大勢の女の人が田植えに精を出したが、ヒルのいない村から嫁いで間もないお嫁さんは、水田に足を踏み入れるなり悲鳴を上げ、あぜへ跳んで上がる始末。足にはもうヒルが食いついているというありさまだった。足はもとより、手にまでたくさんのヒルが食いつくので、村人たちは困り果て、何か良い方策はないものかと口々に話していた。
そんな折、大沢村の庄屋、杉本直右衛門が風の便りに京都・船井郡殿田の曹源寺の和尚、戒誉が「蛭除けの秘法」を知っていると聞き、寺へと出向いて秘法を教わった。
「―秘法」というのは、まず石造りの地蔵菩薩を建立し、これを本尊とする。次にこの地蔵に、「ヒルを除いてお守り下さい」と祈りをささげる。
関係10カ村の役員たちは早速、代官所に許可を取り付け、田んぼが広く見渡せる矢代村(南矢代)の「山嵜」の山裾に地蔵をまつった。開眼供養には、戒誉和尚を招き、村人たちも大勢参列して厳かに行われた。
地蔵を安置してからというもの、ヒルは次々に退散し、今ではこの広い耕地に1匹のヒルも見当たらないという。
※1995年に丹南ライオンズクラブが編集・発行した「たんなんの民話と伝説」を参考に話をまとめた。
同市犬飼の郷土史家で、蛭除け地蔵のいわれをまとめた上田和夫さん(91)は、牛による農耕をしていた少年時代を懐古し、「当時は素足で田んぼに入って田植えをしていた。田んぼから上がって足を洗えば、血を吸って膨れ上がり黒豆みたいになったヒルがころりと落ちる。その夜、布団の中で足が温まるとかゆくて眠れない。かけば血が出るし、翌日、田に入れば、その傷口に集中攻撃を受ける。農作業は手につかないし、中には足が腫れ、田んぼに入れなくなる人もいた」と話した。
現在、当時と比べ、ヒルの生息数は大きく減少している。上田さんは、「残念ながら地蔵さんのおかげではなく」と笑い、「除草剤など農薬が普及したことと、農業の機械化で秋以降、乾田化することが生息にとどめを刺した」とした。
以前は、蛭除け地蔵の前には道が通っていたというが、今はうっそうとした笹薮に覆われている。しかし、地蔵の周囲だけは地元住民の酒井三代次さん(67)によって年に3、4回、草刈りがなされ、きれいに切り払われてている。
酒井さんは、「地蔵さんの目の前に私の田んぼがあることが縁で、20年ほど前からやっている。そのおかげかどうか、この田んぼでは上等の米がとれる」とほほ笑む。現在、地蔵の頭部はなく”首なし地蔵”になってしまっている。「小学生の頃までは、丸くてきれいな顔が付いていたが、当時、地蔵の首に合格祈願のご利益があるとうわさされ、どこかの受験生がもぎ取って持ち帰ったと聞いている」と話した。
よだれ掛けも地元の男性(87)によるもの。「三代次さんがきれいに草刈りをしてくれるので、ヒルに苦い思いをした私も何かせなあかんと思って、6―7年前から毎年、盆と正月を迎える前に取り替えている。先人の思いをつないでいきたい」と話している。