「もう家に帰れないかも…」 コロナ感染男性が心境吐露 重症化リスクも回復 周囲の詮索理解も「察して」

2021.03.12
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男性が新型コロナウイルスに感染したため、丹波県民局から受けた就業制限に関する通知書(画像を一部加工しています)

新型コロナウイルスに感染し、中等症と診断されたものの、1週間の入院生活を経て回復した兵庫県丹波市内の男性が、丹波新聞社の取材に応じた。基礎疾患があったため重症化するリスクがあると医師から伝えられ、あまりのつらい症状に「死を覚悟した」と振り返る。さらには感染したことで周囲の反応が気になり、心無い言葉を受けて精神的に追い詰められたこともあり、感染予防の徹底とともに、感染者やその家族を差別せず、迎え入れるような社会であることを願っている。

なくなった味覚

ある日、悪寒の症状があり、「風邪かな」と思った程度だった。それから3日ほどは通常通り出社し、仕事をしたが、その夜、39度の高熱が出た。翌朝は平熱に戻ったが、夜になると再び39度の高熱。食欲もなくなり、全く寝付けなくなった。この後、「日中は楽、夕方から高熱」の状態を繰り返すことになる。

高熱が出た日、「まさか」とは思いながらもコロナ感染が頭をよぎったため、念のため1人で部屋にこもり、家族に入室しないよう伝えた。週末だったため、週明けに受診することにした。

翌朝、白菜の漬物を食べると、味がしなかった。コロナの症状として味覚を感じなくなるケースがあるのは知っていたが、鼻も詰まっていたため、「半信半疑だった」。

週が明け、近所の医療機関に電話で症状を伝えた。車に乗ったままでインフルエンザの検査を受け、結果は陰性だった。「この時点で覚悟した」

続いてPCR検査を実施。自ら綿棒を鼻に入れるよう伝えられ、専用の容器に入れて返した。検査結果は翌日になるため帰宅した。

「陽性」に衝撃

家に戻ると、不安に襲われた。コロナに感染していれば、家族や仕事はどうなるのか、ほかの人に感染させていないか―あらゆる不安が駆け巡った。高熱と体のだるさもあって、ほとんど寝付けなかった。

翌日午後、受診した医療機関から連絡があった。「陽性」だった。不安が現実になり、衝撃を受けた。

感染の心当たりを思い浮かべた。2週間ほど前に市外に買い物に出かけたこと、3週間ほど前に仕事で都市部に行ったことが頭をよぎった。

保健所から数回、電話があり、発症日の2週間ほど前からの行動経路、濃厚接触者になる可能性がある人の名前などを聞かれ、さほど長時間話したわけではないが、しんどくてやりとりが長く感じた。濃厚接触者は8人と伝えられ、いずれもPCR検査を受け、全員が自宅待機になると言われた。翌日、入院先まで来るよう指示された。

翌日、家を出るとき、「重症化し、このまま帰って来られないかもしれないな」―そう思い、つらくなった。自分で車を運転したが、流れていく景色をいつも以上に美しく感じたという。

「今死ぬわけにはいかない」

病院内では、体温や血中酸素飽和濃度を測定した。担当医から「中等症」と伝えられた。「重症化する可能性がある。集中治療室が空いたら移るか、もっと大きな病院に搬送するかもしれない」と言われた。高熱でつらい状況だったが、愕然とした。

重症化する可能性がある理由として、「糖尿病」であることを伝えられた。長年、健康診断を受診しておらず、自身が糖尿病であることを知らなかった。「ご実家と奥様にはこちらから連絡しましょうか」と言われ、事態の重さを感じ取った。

「このまま死ぬのか」―。自分で実家と妻に連絡し、すぐには帰れないこと、そして二度と帰れないかもしれないことを伝えた。

不安だけが意識を支配し、その日の夕食は一切、のどを通らなかった。高熱で寝付けず、病室に2つあった空気清浄機の音も気になった。容体が急変した場合に備え、部屋には監視カメラがあった。血中酸素飽和濃度を測定する機器を付けていたため、寝返りも満足に打てない。頭を駆け巡ったのは「死」だった。

「いや、今死ぬわけにはいかない」―。自身を奮い立たせた。自分がいなくなれば、残された家族は風評被害に苦しむかもしれない。経済面でも厳しくなるだろう。

一睡もできなかった夜が明けた。体力を落とさないため、食事は苦しくても完食すると自分に約束した。食欲は全くなかったが、朝食を2時間ほどかけ完食した。それでも体調はすぐれず、下痢や吐き気が続き、ただ横たわっているだけの時間を過ごした。

入院してからも、日中は微熱、夜になると39度以上になる日が続いた。入院3日目の夕食に、かぼちゃと小豆を炊いたメニューが出た。口に運ぶと甘みを感じた。少し、味覚が戻ったような気がした。4日目で入院後初めて体が楽に感じた。日中から平熱が続き、その後は熱が上がることはなかった。

外とつながる15センチ

体が楽になってから、15センチほどだけ窓を開けても良いと言われた。冷たい凛とした空気を肺いっぱいに吸い込むと、心地よかった。「キリっとした空気が新鮮だった」。その15センチの幅が、外の世界との唯一の接点となり、楽しみになった。

幸いにも重症化せず、入院から1週間で退院した。外に出ると、空気がおいしかった。肌に刺さるような冷たい空気が気持ちよく感じた。

周りの支えに感謝

退院しても体力が戻らず、すぐに疲労を感じる日々。味覚も完全に回復していない。例えば生のニンジンを食べると、甘みは感じるものの、鼻に抜ける独特の風味は「ない」という。「柿を食べているような感じ」と表現する。

「(男性家族には)行事に参加してほしくないと言っている人がいる」―。人づてに、ある人が言っていたと聞いた。「感染した経験がある人は、心身ともに追い込まれている。その上に、世間からの目が気になってつらい思いをする。よく分かっていない感染症だけに、いろいろと詮索したい気持ちも分かるが、そこは『察して』ほしい。保健所から指示を受けて行動し、治療を受けて治った上で日常生活に戻れた。それは尊重してほしいし、プライバシーを守ってほしい」と語った。

一方「人に助けられた部分も多い」と言う。男性の入院中、濃厚接触者になった家族は外出できず、自宅にある食材で食事をしなければならなかった。男性は信頼のおける知人には事情を伝えていたため、男性家族を気遣った知人が食材を届けてくれることがあったという。感染しても変わらず支えてくれた人がいたことに感謝している。

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