「こころの子育て」とは 佐渡裕さんと河合俊雄さん対談 心理学者の父・隼雄氏の思い出も

2021.05.29
地域

「家を出た場にこそ、子どもの心を育てるヒントがある」と語る佐渡裕さん=2021年5月23日午後2時20分、兵庫県丹波篠山市小田中で

兵庫県丹波篠山市の篠山チルドレンズミュージアム(通称・ちるみゅー)で、同館設立20周年を記念し、世界的指揮者の佐渡裕さんと、臨床心理学者の河合俊雄さんの対談イベント「こころの子育ての未来―河合隼雄名誉館長が遺したもの」が開かれた。同市出身の心理学者、故・隼雄さんをよく知る2人が、隼雄さんから掛けられた言葉や思い出、自らの幼少期体験などを赤裸々に語り、子育て世代に向けてメッセージを送った。司会はちるみゅーの垣内敬造館長が務めた。対談の要旨は次のとおり(以下、敬称略)。

―河合隼雄先生との思い出は?

佐渡 雑誌の対談で、隼雄先生の趣味であるフルートについて話し合ったのが出会い。20年前ぐらいだったと思う。その頃は僕自身、先生のことを知らなかった。フルートという楽器が僕と先生をつないでくれた。

その後、先生が面白がってくれて、演奏会に来てくださったり、一緒に食事したり、企画で対談があったりした。

ある企画で、大親友だった平尾誠二さん(元ラグビー日本代表主将、監督)と隼雄先生とで鼎談をした。前日に3人ですき焼きを食べているときに、夢の話になった。2000年ごろ、私は不眠症だった。夜中までいくら勉強をしても寝つけず、寝入ってからも2時間ほどで嫌な夢を見る。起きているよりも、寝た方が疲れるぐらいだった。

このことを隼雄先生に話すと、「佐渡君は夢の中でも色んな経験ができている。現実は幸せなものに変わるよ」と言われ、救われた。

「冗談ばかり言っている父だった」と隼雄さんについて語る河合俊雄さん

河合 佐渡さんのお母さんはピアノの先生だが、親と同じ仕事をしているというのは、結構面倒くさい。反抗期も出てくる。不幸にも、私も父と同じ仕事を選んでしまった。

私が心理学者を志した大きな動機は「『死』とはなんだ」ということ。

父が谷川俊太郎さんとの対談の中で、「小さい頃、死ぬことが怖かった。それが、自分が心理学者を志した大きなきっかけ」と語っていた。残念だけれど、これも同じなんだ、と後になって気が付いた。

父が亡くなってから、編集の仕事で父の著書を読み直しているうちにびっくりした。この人はすごい。やはり自分の本質に近いものを持っていると思うようになった。

いつも冗談ばかり言っている父だった。家に帰ると喋らないお笑い芸人もいると思うが、そんな感じではなかった。同じ仕事を選んだからこそ、対話ができていた。佐渡さんが「友だち」と言われていたのが共感できる。

佐渡 兵庫芸術文化センター管弦楽団を立ち上げたときがまた印象深い。

歴史100年のオーケストラを引き受けるのも大変だが、歴史「ゼロ」のオーケストラをつくるということは想像以上に大変だった。若いメンバーが多く、ルールが決まっていなかった。国際的なオーケストラにしようと思っていたので、メンバーは半分以上が外国人。世界でも例のない、アカデミー要素を持ったオーケストラ。このオーケストラは丹波篠山市の田園交響ホールにも、何度も来させてもらっている。

そんなオーケストラを立ち上げる年、先生が休暇でヨーロッパに来られ、パリで食事をともにした。「リーダーとして何が一番大切なんでしょうか」と相談した。

すると先生は「決断すること」とおっしゃった。仮に、100人の意見が51対49で分かれたとする。51の意見を選ぶのが本来だが、リーダーとして、49の方の意見を選ばなければならない場面があるかもしれない。そういった部分で悩むと思う、と。

責任があり、苦しいだろうが、リーダーが決断をしないことには方向が決まらない。今は毎日のように決断を迫られているので、先生の言葉は大きかった。

ー子どもの頃を振り返って

サプライズでフルートを披露する佐渡さん。透き通るような音色に会場が拍手に包まれた

佐渡 私の家には、昔、テレビでやっていた子ども向け番組「サンダーバード」と「快獣ブースカ」の人形が何百体とある。コレクターだ。

ブースカの人形は、平面的でアジアという感じ。サンダーバードはとてもヨーロッパという感じがして、デザインも格好良い。子どもの頃に夢中にさせてくれたものが、自分のそばにいてほしいという思いがあった。

父は数学の先生だった。とにかく人に迷惑を掛けない、きっちりとした人。机に向かって翌日の授業の準備をしている姿ばかり見ていた気がする。母はピアノの先生だった。日本の法律など関係なく、自分の法律を持っているような自由な人。ただ、とても感性が優れていた。

指揮者には、理屈と感性の両方が必要。父と母は、自分が指揮者になるためのベストカップルだった。「やらなければならないこと」と「やりたいこと」を両立できていた。隼雄先生が「遊べ」と言われていたが、私自身そのように育ったと思う。

丹波篠山は、塾もない時代に隼雄先生、雅雄先生(隼雄氏の兄・霊長類学者)という日本をリードしていった2人が育ったまち。今はみんなが塾に行ったり、リモートでレッスンを受けたりしているが、外でもっと走り回り、遊んでほしい。

河合 うちの兄弟は個性を大事にしてもらっていた。長男だけが大事という家族もある中で、兄弟が平等に特徴を尊重してもらえていた。隼雄は5人目で、上に”変な人間”のたくさんのサンプルがいた。行動的な兄たちを観察して心理学者になったという説もあるぐらいだ。

幼少期の頃はスイスにいたが、帰りたいと思って帰ってきた日本は私の空想だった。帰国すると、あれだけ嫌いだったヨーロッパを、文学や映画を通じて素晴らしいと思うようになった。

ヨーロッパの文化の強烈さを肌で感じていた。ある種、暗い少年時代を過ごしていた気がする。自分の世界は誰とも共有できない。私の父はその世界に近かったようだが。

ー「こころの子育て」について

河合 スポーツチームの監督やコーチは、心をつかむ能力に長けている人が多かった。しかし、だんだんと機械的、分業的になり、心をつかむ専門家が必要な時代だ。

外に助けを求める発想も大切。高齢者の介護においても、私の若い頃は家族でみるのが当たり前の時代だったが、今は社会としてやっていかなければならない。子育ては、自分で頑張ることも大切だが、今後はもっと外のリソース(資源)に頼ることも必要になってくるのでは。

佐渡 父、母の人柄は、子どもの人格形成に大きく関わってくる。

また、例えば子どもの頃にみんなで合唱したり、合唱団に入ったりすることも心を育てることに役立つ。小学生から中学生のみんなの声が楽器となり、力を合わせて美しいハーモニーをつくる。合唱団でみんなと会う。みんなと舞台に立てる。家を出た場にこそ、子どもの心を育てるヒントがあるのではないか。

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