兵庫県丹波篠山市の石田榮代さん(88)がこのほど、代々受け継がれてきた17―20世紀にかけての古文書「石田家文書」を同市に寄贈した。江戸時代には村の庄屋などを務めた石田家の文書は約4100点という膨大な量で、近世から近現代にかけての地域の様子を知る上で第一級の史料。石田さんは、「祖父や父が大切にしてきたもの。寄贈できて肩の荷が下りたよう」と安堵した。同市の中央図書館に移して調査を進め、同市が行っている市史編さん事業に活用する。
石田家は和田村庄屋のほか、畑組の大庄屋、郡取締役などを務め、近代には畑村長も輩出した家。文書の中には歴代の当主が記した職務上の日記などが数多く含まれる。
江戸末期の万延元年(1860)に記された日記には、一揆を起こして石田家に押し掛け、藩に直訴しようとしていた農民たち約300人をなだめ、要求を聞き取った状況などが記されている。職責を誠実に果たし、状況を冷静に書き留めつつも、窮状にあえぐ農民たちの声に、「至極尤ニ候(しごくもっともにそうろう)」として藩に取り次ぐことにするなど、主観的と思われる部分もあり、当事者が自分の思いも込めて書き記した様子が伝わる。地域の石高や家族、奉公人の数なども記され、当時の社会情勢を伝えている。
石田さんの息子が在籍した大学で日本近世史が専門の菅原憲二さん(現・千葉大名誉教授)に文書の存在を伝えたことがきっかけとなり、菅原さんが1983年から調査し、2013年に目録にまとめた報告書を発表。文書はその後、石田家に返却され、大切に保管されてきた。
石田さんは、「戦時中、紙が貴重品だった時ですら、この文書を落とし紙に使うことはなかった。それだけ大事にしてきたもの」と感慨深く語り、「あとは市にお任せし、大切にしてもらえたら」と期待を寄せた。
松本充弘・神戸大大学院特命助教は、「質・量ともに和田村や旧篠山藩領の統治、生活を考える上での中核的史料。日本社会には貴重な民間所在の歴史資料が少なくないが、日々失われていることも事実。寄贈をきっかけに地域の資料や歴史文化に対する関心が高まり、後世に伝えていく機運が広がってほしい」としている。