北朝鮮拉致被害者の蓮池薫さん(新潟産業大学経済学部准教授)が登壇した兵庫県丹波市の人権講演会がこのほど、同市の丹波の森公苑で開かれた。3回にわたり要旨を掲載する。
◆命以外奪われる
来年で帰国20年を迎える。しかし、それは帰国できたわれわれ5人と、その家族だけだ。まだ帰って来られない被害者の方々が、北朝鮮で帰国を待ち焦がれている現状には何の変化もない。
拉致は非常に残酷だ。被害者は命以外のほとんどを奪われた。中でも夢を奪われた。家族がお互いに生死すら分からない状態、そのように絆を断ち切られた。これが最も残酷な側面だ。横田めぐみさんは当時13歳、ほとんど若い方々が拉致された。持っていた夢が断ち切られた。
北朝鮮の拉致は、その後、失敗に終わる。つまり、彼らが拉致に求めていた目的は達成できなかった。逆にいろんな国から「拉致する国」とみられるようになり、拉致被害者は隠される存在になってしまった。
ということは、山の中の「招待所」というところで、ほぼ隔離状態になって、ずっと暮らさなければならない。その中に何の自由があり、希望があり、夢が生まれるのか。夢は二重にして奪われているというのが現状だ。
◆目の前に日本人
拉致されて5、6年後、監視付きだったが、子連れで市内に出掛けた。当時、北朝鮮は5月1日のメーデーで祝日だった。あるところで車が止まり、ふと見ると、日本人の取材班だった。おそらく北朝鮮の祝日風景を取材に来ていたのだろう。よく見ると、ドキッとした。知っている人がいて、俳優の中村敦夫さんだった。後で知った話だが、キャスターとして平壌に来ていた。
一瞬、悩んだ。あのテレビカメラの前に行って、中村さんに「助けてくれ。われわれは拉致されたんだ」と言えば日本に伝わり、救われるかもしれない。
しかし、いかに愚かであるか、次の瞬間に考えた。おそらく、日本の取材班は、周りを監視で固められていただろう。カメラの前まで行けるわけがない。運よく撮影されたところで、カメラとフィルムを取り上げられれば終わりだ。そして日本に追い返すだろう。
その後、日本では騒いだとしても、われわれが救出されるという可能性はない。逆に、私に制裁が加えられるだろう。そう思った時に、何もできなかった。
私たちは夢、絆が完全に奪われて暮らしたし、今残されている人たちはそういう状況にいる。拉致問題の解決は、長い間、奪われている夢と絆を取り戻す過程にあると言える。
◆日本独自に解決を
今でも、北朝鮮が拉致した人を全員返せば事態は進む。だが、拉致問題が進まないようになった大きな要因は核、ミサイル問題だ。北朝鮮とアメリカ間の大きな問題だが、日本にも関連する。日本と北朝鮮との間では、核、ミサイル、拉致問題の3つが解決すれば、国交を結ぶという方向に行く。
拉致問題は別として、核とミサイルという問題は、非常に大きな問題だ。われわれが北朝鮮から帰って来た頃は、核とミサイルはそんなに大きな問題ではなかった。拉致問題さえ進めば、国交を結べるという状況にもあった。
その後、北朝鮮は6回も核実験を行い、ミサイル実験に至っては数えきれない。こういう条件の中で拉致被害者を返したところで、日本が国交を結ぶだろうかと北朝鮮は考える。アメリカは反対する。そういう状況の中で、拉致被害者を出すだけ損だと考える。つまり、米朝間で非核化の問題が進まないと、なかなか拉致問題は動かない。
ところが、トランプ大統領と金正恩委員長の間で、非核化の問題が話し合われ、一時は進むかのような状況になり、拉致被害者家族は期待を持った。
米朝で非核化が進めば、その後はお金の問題になる。トランプさんはお金を出さず、日本と韓国が出す。日本は国交正常化という中で拉致問題の解決を求め、拉致被害者を返して次に進むというシナリオがあったが、どうやら北朝鮮には完全非核化の意思はなかったようで、頓挫してしまった。
バイデン政権は、トランプ大統領のようなトップ会談はしないと宣言した。ますます、厳しく当たろうという感じだ。このままでは米朝が進まない。米朝の流れに沿った日朝交渉というのは、いつになるか分からない。悲しいかな、これが現状だ。
現在、帰ってきていない拉致被害者の両親で、存命の方は2人しかいない。この2人に、米朝の問題が進まないから待ってくれと言ってはいけないし、あってはならないことだ。米朝の流れではなく、日本が独自に考える方法が必ずあるはずだ。
例えば中国経由で何かやるとか、北朝鮮の生活が厳しい状況で人道支援とか、そういったものを見せながら、拉致問題の解決や将来の約束のようなことを総合的に考え、北朝鮮に提示していく必要がある。
このように、米朝とは切り離した、日本政府の努力、戦術、戦略というようなものが今、確かに求められている。