「人身御供」伝える謎の神事 背景に「大怨霊」の影 闇の中の祈り、今も

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早朝5時に営まれた神事=2021年12月4日午前5時1分、兵庫県丹波篠山市犬飼で

「その神社の当番になった人は1年間、牛肉食べたらあかんらしいで」―。始まりは知人から寄せられた情報だった。聞けば兵庫県丹波篠山市犬飼にある「大歳神社」のことらしい。興味をそそられ、深く調べていくと、牛肉の話は神事の一部に過ぎないこと、そして、神やもののけに人間をいけにえとしてささげる「人身御供伝説」と、集落名にある「犬」の存在が見えてきた。さらに背後には、ある大物の名も見え隠れする。夜も明けない12月4日午前5時、今年も神事が営まれた神社に足を運んだ。

◆生きた魚ささげ 子孫繁栄を祈る

供物の生きた魚(コイ)をささげる氏子たち

闇の中に灯籠と焚き火、ちょうちんの明かりがぼんやりと浮かぶ境内。数人の氏子がいそいそと準備を進めている。

拝殿には11種類の供物が並んでいた。餅や神酒、塩などオーソドックスなものの中で、ひときわ異彩を放っているのが水鉢だ。中を覗き込むと、赤と黒のコイが1匹ずつ泳いでいた。

「なんでか分からんけど、生きた川魚を供えることになっています。祝詞の中にも出てくるから聞いてみて」と、住民が教えてくれた。

正装姿で座した住民の前に一瀬貞明宮司が現れた。静寂に包まれた境内に祝詞と柏手が響き渡る。祝詞からは、里を守ることや家内安全、子孫繁栄、五穀豊穣などを祈願したことが聞き取れた。確かに「生きた川魚」という言葉もあった。

少しだけ白み始めた空の下、神事は約30分で終わった。夜明け前ということや生きた川魚を供える以外、特に変わった点はなかった。

神事後の直会(なおらい)では、供物の炊いた白米と神酒などが振る舞われた。コロナ禍以前は会食し、午前7時からは境内で餅まきも行われていたそう。

「祭りは12月最初の戌(いぬ)の日と決まっている。今年はたまたま土曜日やったけど、平日が祭りの日もある。そのまま仕事に行ったときの眠いこと、眠いこと」と住民が笑った。

一瀬宮司は、「夜も明けない早朝であることなど、知る限り、市内ではかなり珍しい神事」と言う。

住民にくだんの「当番は牛肉を食べてはいけない」という話を尋ねると、「確かにそう」。ただ、なぜいけないのかは定かではなく、「農家が多いし、牛は大切な家族だったからでは」「なんで豚とか鶏はええんかなあ」―などさまざまな声があった。

おそらく神道で身を清める「潔斎」として肉を食べないことが今も残っているのだと思われた。

◆化け物の正体に さまざまな説も

この大歳神社には、もののけにささげられた人身御供、そして、もののけを打ち滅ぼした犬の伝説がある。書物によって内容が少しずつ異なるが、最も古いと考えられ、地域住民の家に伝わる「前川家文書」には村の伝承として次のように書かれている。

「大化年間(645年ごろ)、氏子の中で一年に5人、7人と死者が出たため、これは神の怒りが原因だとして人身御供を行うことを決めた」

「くじが当たった家では涙で袖が朽ちるほど嘆き悲しんだ。一心に神に祈り、断食をしたところ、37日目の明け方、まばゆい光とともに童子が現れ、近江(現在の滋賀県)の多賀明神でも人身御供があったが、『鎮平六』という犬が化け物を退治した、と告げた」

「そこで村人はこの犬を借りてきて、器に入れておき、化け物が現れたら力を合わせて退治しようと決めた。鎮平六は化け物にとびかかり、そのすきに村人がなぎなたで打ちかかって退治した」

「その後、鎮平六は、村で大切に飼われた。亡くなると爪一つを残して亡骸を故郷に送った」

「大宝元年(701)まで、本郷村と言っていたが、この時から犬飼村と名を改めた。村ではそれまで申(サル)の日に祭礼をしてきたが、戌の日にも祭礼をするようになった」―。

この伝説は日本昔話シリーズにも登場する「しっぺいたろう(はやたろうとも)」と酷似している。しっぺいたろうは静岡県磐田市に伝わる伝説で、長野県駒ケ根市の寺から「悉平太郎」という犬を借りてきて化け物を倒す。このような人身御供と霊犬の伝説は、全国各地に同様の話が伝わっている。

犬飼の伝説は、文書によって犬の名前が「新兵太」「鎮兵犬」だったり、化け物の正体がイタチやタヌキ、サルなど、さまざまなバリエーションがある。

前川家文書が書かれたのは文治4年(1188)とある。この日付を信じるならば、少なくとも800年以上続く神事ということになる。さらに人身御供をささげた場所や、ささげ終わった後に通夜をした場所が、伝承として今も残っているという。

ちなみに数十年前までは夜中の午前零時から始めていたそう。また、ささげものの魚は、かつてはコノシロだったという。

夜中に始まっていたことは伝説にある通夜を意味しているのかもしれない。また、生きた川魚も、人身御供伝説の名残を感じさせる。

◆お参りの代表 くじで決める

闇の中で灯ろうや提灯の明かりだけが浮かぶ境内

以前は神事の後の直会で、「1年間、牛肉を食べてはいけない」というおきてや、境内の掃除、祭りの準備などをする当番がくじで決められた。白米を盛ったへぎの上にくしゃくしゃに丸めた紙を置く。ひし形の切れ込みが入った紙が「当たり」だ。このくじ引きも、見ようによっては次の人身御供を決めているようにも感じる。

急に当番に当たることが負担になっていたため、現在は隣保で当番を回しており、くじ引きで当たるのは、正月に元伊勢(京都府)にお参りする代表者のみだ。

宮総代を務める前川光生さん(68)は、今年も無事に神事を終え、「若いころは、『なんでこんなことするんやろう』と思っていたけれど、今は考えが変わりました。こういう伝統はこれからも継承していかないと、と思っています」とほほ笑んだ。

◆地名から連想 作った伝説?

崇徳天皇が祭られている大歳神社

この神事をさらに深く掘り下げることはできないかと考え、犬飼地区で暮らし、郷土史家でもある上田和夫さん(92)を訪ねた。「興味深い伝説と祭りですね」と問い掛けると、上田さんは豪快に笑いながら言った。

「犬が化け物を倒して村の名前が犬飼に変わったと言われていますが、実は違うんですわ」

上田さんによると、丹波地域の歴史をさまざまな史料をもとにまとめた「丹波史年表」に、奈良時代から平安時代にかけて武臣として名高い「坂上氏」の一人、坂上犬養忌寸(いぬかいのいみき)が、延暦13年(784)、軍功により賜った多紀郡(現・丹波篠山市)の土地を、「犬養矢代」と名付けたという記述がある。

「まず犬飼という地名があった。そして、後の人々が地名から連想して、人身御供と犬の伝説を生みだしたのでしょう。県内の別のまちにも犬飼という地名があり、まったく同じ伝説が残っていますから」

「それよりもね」。上田さんは急に神妙な面持ちになった。「もっと興味深いのは、神社の祭神。大歳神などとともに、なぜか『崇徳(すとく)天皇』も祭られていることです。市内にはほかにも大歳神社がありますが、ここだけなんですよ」

崇徳天皇って確か。

「はい。日本の大怨霊です」

◆大怨霊を祭り 慰撫が目的か

崇徳天皇(譲位後は崇徳上皇)と言えば、平安末期に起きた戦乱「保元の乱」(1156年)で敗れ、讃岐に配流となった人物だ。配流後、怨念の鬼になり、舌をかみ切った血で「日本国の大魔王となって、皇を民となし、民を皇となさん」と書きつけたと伝わる。

なぜ崇徳天皇が祭られているのかは伝わっていないが、手掛かりになる記録があるという。

同じく「丹波史年表」によると、前川家文書が書かれたのと同じ文治4年(1188)、「栗村庄」という場所が「崇徳院領」になったとある。現在、この地名はないが、犬飼集落の周辺に「栗村橋」があることから、上田さんは犬飼周辺が栗村庄だったのではないかとにらんでいる。

保元の乱から32年が経過しているものの、崇徳院領をつくることで怨霊を慰撫する意味があったのかもしれない。また、たたりを恐れた犬飼の人々は氏神と共に天皇を祭ることで、平安無事を祈ったのではないか。

さらに調べてみると、かつて供物だった魚・コノシロも崇徳天皇と縁があった。兵庫県尼崎市にある松原神社では、讃岐への配流中に休息した際、村人がコノシロなどを提供してもてなしたという伝承があり、現在も供物としてささげているという。

これらの推測が正しければ、この神事が途絶えることなく律儀に脈々と受け継がれてきたのは、人身御供や犬の伝説の背後にいる大怨霊の存在と、怨霊を祭ることで良い力に変える日本独特の「御霊信仰」があるようだ。上田さんは、「私が小さい時には、『この神社にはたたり神がおられるから大事にしなさい』と言われたもんです」と話す。

そんな神社で営まれる神事も時間帯や魚の種類、当番の方法など、社会の変化に伴って少しずつ変わってきた。最近では氏子の数も減りつつある。しめ縄をなえる人もほとんどいなくなった。しかし、上田さんはまた笑顔に戻る。

「神社や神様は大事なもの。でも、祭るのは人で、人がいてこそ神様がいる。『こうでないといけない』と無理をするのではなく、時代の変化に合わせて祭れるようにしていけば良いと思います。変わりながら続けていく。それでええやないですか」

もういくつ寝るとお正月。大晦日に初詣と、身近に神事があふれる季節になる。今一度、神社の歴史や、そこに込められた先祖たちの思いを感じ、もし今、形態を変えようとしていたとしても、それを認めていくことも一手と考える機会にしたい。そんなことを感じた取材だった。

人身御供に大怨霊。身の毛もよだつ話題もあったが。

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