毎年1月10日に「谷川戎祭り」を行っている兵庫県丹波市山南町谷川、名可森(なかのもり)神社の氏子が高齢化などで大きく減少、今や3軒になり、来年の同祭りの挙行が危ぶまれたが、「地域の伝統文化の灯を消してはいけない」と、今後も継続していくことを決めた。3人の氏子は「ほかの地域でも見られる問題だと思うが、続けられる限り続けたい」と話している。
同神社は、正徳3年(1713)、えびす様の総本宮である島根県松江市の美保神社から御分霊をいただき、創建された。当時、地元の久下村にあった7カ村のひとつ、領家(りょうけ)村の村人たちが護持し、今に至るまで領家村の村人の血筋を引く人たちで護持している。創建時には22軒あったが、30年ほど前から減少。近年は5軒になり、先ごろ2軒が退いた。
残った3軒の氏子の3人は、領家村総代の荒木幹雄さん(79)、清水昭景さん(73)、浅原保弘さん(66)。
氏子は毎月2回、順番に同神社を掃除し、本殿にお供えをしているほか、戎祭りでは、ご神符や吉兆を準備して頒布、福引もしている。3人では、日ごろの護持や、戎祭りの運営が負担になることから、地元の高座神社に相談。名可森神社の御分霊を引き受けてもらえないかと持ちかけたところ、これまで3人の知らなかった名可森神社の由緒や、地域に根付いてきた歴史などを聞き、「神社に寄せた先人の信仰を思うと、自分たちの都合を優先することはできない」と判断。これまで通り、護持し、戎祭りを執り行うことを決めた。
戎祭りの参拝者はピーク時には250人ほどあり、かつては、餅まきもあるなど、にぎわいを見せた。今でも130人ほどの参拝があるという。
来年の戎祭りでは、福引は取りやめるが、ご神符や吉兆の頒布は例年通りに行う。3人は「いつまで続けられるか分からないが、体の続く限り神社を守りたい」と話している。