兵庫県丹波篠山市内の各地に数多く祭られている地蔵それぞれに、建立のいわれや民話が伝わっている。同市今田町市原の瀬戸地蔵にはこんな話が伝わっている。
奈良時代の高僧、行基が播州清水寺(同県加東市)にいた頃の話―。
ある日、行基が都へ行こうと、清水寺の麓の集落、今田町木津へ降り、同町芦原新田まで来た時のことだった。数人の村人が東条川の川岸に立って経を唱えていた。
その場所は、同県丹波市から大阪方面へ行く旅人が必ず通る近道だったが、高い絶壁が川岸にせまり、その下は深い淵になっている。
行基は、経を上げる村人たちに「何ごとか」と尋ねた。
村人によると、絶壁に沿った狭路を通る旅人たちが、たびたび足を滑らせ、淵へと落ちて死ぬのだという。「この前は川上から、菰に包まれた赤ん坊の死体がこの淵へ流れついたのですよ」とも話し、「このたびの読経は、先日亡くなった人を弔っているのです」
行基は、「なんと危険な所だ。こんな悲しいことが再び起こらないように」と、絶壁の岩面に地蔵を彫り込み、交通の安全と亡くなった人たちの供養を行ったという。
現在も8月の地蔵盆には、市原集落の代表者が集まって経を上げ、花をたむけるなどして祭っている。
瀬戸地蔵 丹波篠山市今田町市原の東条川右岸に露出した巨石の岩肌に、蓮台に乗る約40センチの地蔵菩薩立像が彫られている。右手に錫杖、左手に宝珠を持つ一般的な形態の地蔵で、室町時代の作とされている。諸説あるが、瀬戸とは、「狭い」の意味で、断崖絶壁の狭い道に沿う所にあるので、古くからこう呼ばれている。市指定文化財。