兵庫県丹波篠山市出身で、丹波篠山ふるさと大使であり、米・ニューヨークを拠点にシンガーソングライターとして活動している遠山恵さん(32)=活動名・Meg Bless=が、このほど郷里に一時帰国。インタビューに応じた。全世界に暗い影を落としている新型コロナ禍の影響で、歌うことが奪われた時期もあったが、少しずつ活動を再開しているという。遠山さんは、「強制的に家にこもらされたことで、音楽と自分の関係性を取り戻す時間がもらえた。私にとっては良い機会でした」と語り、会話の中では涙を浮かべる場面もあった。
―アメリカもコロナ禍に見舞われた
2020年4月からロックダウン(都市封鎖)が始まり、ライブハウスなどでのパフォーマンスはまったくできませんでした。昨年8月にようやくライブができたので、1年4カ月くらいは人前で歌うことがなかったです。
―活動できない間は何をしていた
当時、大学院生だったので、アーティスト活動にダメージがあっても休業補償などはありません。活動を再開しても、いつまたこういう事態になるか分からなかったし、パフォーマンス以外でも手に職をつけないといけないと考え、ネイリストの資格を取りました。
あとはとにかくたくさんの本を読みました。
―この時期をどう捉えていた
言っていいのか分かりませんが、私にとっては、「良い機会」だと感じたんです。
―なぜそう思った
2009年に渡米し、13年目になりました。いろんな場で歌わせてもらいましたが、コロナ前の私は「音楽をやらなあかん」「世間的にはこういうふうにしないといけない」という意識が強くなっていて、アーティストに必要な「感覚」よりも、「頭」で動くようになっていました。それが分かっていたから、あれほど情熱を注いだ音楽が嫌いになっていました。
それがコロナ禍で強制的に音楽と離れる時間ができた。それはありがたい時間でした。
―自分で自分を追い込んでいた
19歳で渡米した時は、「誰にも負けない」というパッション(情熱)があったんですよね。そのエネルギーがあったから、いろんな賞をもらえたと思います。なので、もう一度、自分と音楽の関係性を見つめ直し、情熱を取り戻したい。そんなふうに考える時間をもらえたと思います。
―少しずつ音楽活動を再開している
そんな時間をへて、改めて人に喜んでもらうには、自分が楽しくないと思っていたら失礼だと感じました。だから、人のことを考える前に自分が歌いたい曲を歌おうと。私は日本のJ―POPを聞いて育ったんですよね。今、アメリカでは日本の70、80年代の曲「シティーポップ」がはやっているんです。竹内まりやさんや大貫妙子さんなどの歌をライブに入れると、私が楽しかったからか、知っている人がいたからか、とても良いライブになりました。まだ「リハビリ中」で手探りの挑戦ですが、音楽が好きな気持ちが戻りつつあります。
―故郷に一時帰国した
これまで学生ビザで生活していましたが、これからはシンガーソングライターとして生活していくことになるので、アーティストビザを取得するために帰国しました。コロナ禍のため、帰国後3日間はホテル、11日間は実家で計14日間の隔離生活でした。
―コロナ収束後の目標は
まずはオリジナルアルバムを出したいです。あと、動画に曲を入れる仕事も決まっています。
繰り返しになりますが、もう一度、音楽に対してパッションを取り戻したい。そして、一日の中で心から幸せやなあと1分でも1秒でも思える生活がしたい。
この世の中で、私が持っているものは私にしか出せません。そんなことをしていけたらと思っています。
とおやま・めぐみ 有馬高校で音楽を専攻後、渡米。2010年、日本人ゴスペルクワイヤー(聖歌隊)のメンバーとして、全米最大級の大会で優勝。11年には、プロへの登竜門アポロシアターのアマチュアナイトのソロ部門で3位入賞。14年、国連本部のユース集会でも歌うなど、活躍の場を広げている。