兵庫県丹波篠山市西岡屋出身の難波聖良さん(24)=大阪市=は、2年前に逝去した祖父・純一さんが管理していた丹波篠山市内にある農地を受け継ぎ、米の栽培に奮闘している。約50年にわたり農業一筋で米を栽培していた純一さんの背中を見て育ち、大好きだった祖父との思い出の場所を守ろうと、農地を継いだ。生産したコシヒカリは、「純一米」というブランド名で、ネット販売している。
難波さんは県立篠山産業高校出身。土木業を経て、現在は、住宅関連用品などを扱う大阪の会社で営業職に就いている。21歳で結婚し、2人の子を持つ父親でもある。
2年前、純一さんががんでこの世を去り、純一さんが1人で管理していた約120アールの農地が残された。
難波さんにとってこの農地は、祖父から米作りのいろはを教わる「学校」であり、泥にまみれる「遊び場」でもあった。業者などに委託する選択肢もあったが、思い出の詰まった大切な場所を自分で守ろうと決意した。営業の仕事があるため、平日の管理は、父や、母の兄らに任せている。
また、米生産で利益を生み出そうと、ブランド化。純一さんの名を冠したのは「戦後間もない頃から、僕たちが食べ物に困らないように米を作ってくれていた。祖父がいたからこそ作れている米だという意味を込めた」という。純一米は、自身のインスタグラムで積極的にPRし、全国に届けている。
週末は帰省し、米の栽培に精を出す、せわしない日々を送る。「少しでも手を抜けば、収量として目に見えて分かるのが楽しい。何より、買っていただいた方からの『おいしかった』という一言が活力になっている」と充実感をにじませる。
今後は、農業一本でやっていくことを考えており、2、3年のうちに法人化を予定している。同市特産の黒枝豆など新たな品目の栽培も計画。田植えや枝豆収穫といった体験イベントの開催、ブルーベリー農園の開園、地元産の農産物を生かしたメニューを提供する飲食店の開業など、アイデアは尽きない。「型にとらわれず、『3K』といわれる農業の悪いイメージを覆したい」と意気込む。
「『米』という漢字が示すように、祖父は米作りに関わる『八十八』の手間を大切にしていた。寡黙だったけれど、今になれば、どれだけ丹精を込めていたかが分かる。こうして米から祖父の思いを伝えられるのがうれしい。祖父の思いや教えを僕色に変えて、古き良さを伝えていきたい」とほほ笑んだ。