歌と介護 二足のわらじ コロナ禍で施設スタッフに シンガーソングライター「歌に深みが」

2022.07.21
地域

障がい者施設のスタッフとして働きながら、音楽活動も続けている中越雄介さん=兵庫県丹波篠山市東吹で

年代や業種を問わず、誰もが影響を受けている新型コロナ禍。当然、芸術やエンターテインメントの世界も同様だ。兵庫県丹波篠山市出身の兄弟ユニット「ちめいど」のシンガーソングライター、中越雄介さん(42)=同県三田市=は、これまでのような活動ができなくなる中、縁あって昨年から地元にある障がい者福祉施設に勤め、生活支援スタッフとの二足のわらじを履いている。大きな社会の変化に流されつつも、「施設に来て本当に良かったし、これまでよりも歌に深みが出るようになった。毎日、楽しくて、楽しくて」とほほ笑む。アーティストが見た介護の現場と教わったことを聞きに、施設を訪ねた。

「『絶望的や~!』って叫んでるあなた 大丈夫です それだけ元気があれば」―。障がい者施設「みずほの家 マザーハウス」(丹波篠山市東吹)の一室。ギターをかき鳴らしながらアクリル板越しに、時にコミカルに、時に思いをたっぷり込めて歌う中越さんの姿があった。

この日はスタッフではなく、シンガーソングライターとしての仕事。「笑って 笑って 笑いましょう 笑うことですべては幸せに」―。歌声に乗せて来場者やスタッフ、利用者らが手拍子を打つ。歌詞の通り、会場に笑顔が広がる。

◆気持ち表現上手

週5日、施設のスタッフとして勤務。障がいのある利用者と一緒に創作活動をしたり、散歩をしたり、トイレや入浴の介助も行う。

介護の世界はまったくの未経験。「何をしていいかもさっぱり分からない状態。先輩スタッフの皆さんに教わりながら手探りで始めました」と言い、「利用者の皆さんから教わることもたくさん。みんな自分を出すのが上手で、ありのままの自分を表現している。もっともっと自分を出していいんだな、と教えられています」と語る。

10代後半からギターを始め、2001年、弟の雄大さんとちめいどを結成。オリジナル曲を作り、神戸・三宮で路上ライブデビューを飾った。

06年にはフジテレビの「めざまし土曜日」の企画「主題歌オーディション」で優勝。「猫背のうた」で大手レコード会社からメジャーデビューを果たした。次々と楽曲をリリースし、神戸国際会館で2000人ライブを成功させたこともある。

ちめいどが織りなす楽曲は、前向きで、命の大切さや人の温かさを伝える言葉が多い。このため教育現場に招かれ、コンサートを兼ねた人権講演会も引き受けてきた。

楽曲に込めた思いを問うと、「自分も悩むことや苦しいことがたくさんあったから、あえてその逆のことを歌詞にしているのかもしれません」と言い、「『ごみ』『かす』なんて言われ続け、本気で死のうとした時期もあった。それは、死ぬというよりは、ただ『明日が来てほしくない』という気持ち。近年、著名な人の自殺がみられるけれど、同じ気持ちなのかもしれない。でも、自分たちの歌を聞いてくれた人が『元気が出た』と言ってくれる。人の役に立っているという感覚が生きがいになっている」と振り返る。

◆コロナ禍の中で

デビュー当初は会社員だったが、音楽一本に絞って活動を続けていた。そこに襲い掛かったのがコロナ禍だ。

人と会うこと、まして人前で歌うことができなくなった世界。月に10回以上行っていた路上ライブはゼロになった。当然、講演会もない。それでもいつかは平時に戻るはずと考え、オンラインを活用して歌を配信したり、ボイストレーニングなどで技量を磨いたりするなど、諦めずに新しいことに挑んできた。1カ月で50曲作ったこともあった。

それでも、これだけ長期間にわたって通常の活動ができなくなると、収入面で苦しくなった。そんな時、旧知の仲で、「マザーハウス」などの障がい者福祉施設を運営する株式会社「みずほ」の会長、山中信彦さんから状況を心配する電話が入り、「よかったら働かないか」と誘いを受けた。

右も左も分からず、障がいのある人とどう接したらいいかも分からない。それでも少しずつ介護を学んでいく。

例えば、急に大きな声を出してしまう人がいる。でも、接していくうちに声を出すことには意味があると分かってきた。声の大きさが思いになっていたり、カードを見せると思いを示してもらったり。みんな「気持ちを表現している」ことが理解できるようになってきた。

また、障がいのある人がいかに家族のことが大好きかも知った。「言葉が出なかったり、手が出てしまったり、うまく相手に伝わらないこともあるけれど、みんな本当に真っ白な気持ちで、人を困らせようとは思っていない。家族はそれが分かっておられて、いつも前向きで明るい。すごいなと思いました」。こちらの常識を押し付けるのではなく、その人、その人の世界を尊重する大切さ。それは障がいの有無に関係ないことだと改めて気付かされた。

◆これからも施設へ

「命」や「家族の大切さ」など、これまでも歌ってきた言葉がさらに鮮やかになっていく。それは介護に触れなければ感じられなかったこと。だからこそ思う。

「これからも身近な大切な人に笑顔になってもらえる歌を。そして、そんな人たちの背中を少しでも押していけたら」

コロナ禍は続いているが、人前で歌う機会は増え始めた。ただ、以前のように音楽ができるようになったとしても、週に1回でも施設に来たいと考えている。

「スロープのあるなし一つにしても、『あの人なら通れるかなあ』と目線が変わった」と言い、「障がいのある人もない人も一緒に音楽を楽しんで『心のバリアフリー』を目指す『とっておきの音楽祭』(仙台発祥。丹波篠山市でも開催中)を今、暮らしている三田市で開きたい。それがここで教わったことへの恩返しになると思っています」とほほ笑む。

最近できた新曲がある。タイトルは「Mr・F」。いたずら好きの利用者への愛情を込めた歌だ。介護の世界に触れることで考え方や視点が変わるだけでなく、新たな音楽も生まれている。

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