きょう19日は敬老の日。兵庫県丹波篠山市で、今年90歳を迎えた谷田君代さんと中島益江さんは、毎週のように西町にある卓球愛好者の集まりに通い、ラケットを振っている。集まりの中では最高齢ながら、軽快な動きとスマッシュは健在。誰もが「90歳の動きではない」と目を丸くする。「憧れは伊藤美誠選手。とても相手にならないけれど、いつか目の前でプレーを見てみたい」とほほ笑む2人。健康の秘訣は「卓球も含めて体と頭を動かすこと」と言い、「これからも振り返らず前向きに。できる限り明るく」と笑う。
「ポコン、ポコン」という音と、人々の笑い声が響く。私設文庫「ふじわら文庫ぐりぐらひろば」の主宰で、自身も愛好者の辻あさみさん(75)が、卓球を通した交流にと約20年前に始めた集まりだ。
地域の男女約15人が集まっては、卓球はもちろん、おしゃべりも楽しみながら親睦を深めている。谷田さんは開設時から、中島さんは開設後すぐに参加した。
2人は満州国の建国や犬養毅首相が暗殺された「五・一五事件」などが起きた昭和7年(1932)に生まれた。
小学3年生の時に太平洋戦争が勃発。「サツマイモを植えたり、まきを集めに行ったり。学校の勉強もほとんどなかった。とにかく食べ物がなくて大変だった」と回想する。
共に終戦後の高校時代に卓球を始めた。谷田さんが、「暑いのが苦手だったから室内競技がよかった」と言えば、中島さんは、「バレーボール部もあったけれど、私は大きい球が怖かったから」と苦笑し合う。
谷田さんは篠山町役場に就職し、職場や地域で卓球を続けた。縫製工場などで働いた中島さんは、しばらくラケットを持つことがなかったが、たまたま「ふじわら―」の前を通りかかった際、懐かしい「ピンポンの音」に誘われて集まりに加わった。「みんなで寄り添いながら、楽しく体を動かすことにはまった」(中島さん)。
共に病気知らず。谷田さんは、「入院したのはお産のときくらい」と言い、卓球以外にも大好きな歌を楽しみ、日曜、祝日以外はジムにも通う。スマートフォンの操作もお手の物で、スケジュール管理からメール、動画撮影も見事に使いこなしている。
中島さんも「腰が痛いくらい」で、84歳まで縫製の仕事をこなし、今も着物をほどいて洋服にリメイクするなど、変わらずミシンを使い続ける。
自分にとって卓球は何かと問うと、「健康維持の手段であり、みんなと交流する場」「生きがいで、健康の証明書」と朗らかに笑う。
戦前、戦中、戦後と激動の90年を生きてきた2人に近年の世相はどう映るのか。
谷田さんは、「『人って素晴らしい』と思うほど、何でもできる便利な世の中になった。一方で良いことだけでなく、悪い情報も入ってくる。何とも言えない感じ」と顔をしかめ、中島さんは、「先日も携帯に詐欺のメールが来た。気を許して生活できる世の中になってほしい」と話す。
共に孫4人、ひ孫3人。次代を担う若い世代には、「できれば包丁を使った料理を子どもたちに食べさせてあげて」「いろんな考え方の人がいるけれど、我を張らず、その人なりに前を向いて毎日を楽しんでくれたら」と優しいまなざしを向ける。
2人の今後の目標は、「子どもたちになるべく迷惑をかけないように、とにかく健康に気を付けること。周りの人と明るく楽しくお付き合いすること」と声を合わせる。
辻さんは、「2人とも元気でおしゃれで、みんな『あんなふうになりたい』と言う目標。私たちも頑張らないと」とほほ笑んだ。