兵庫県丹波篠山市黒岡にある春日神社で毎年10月15、16日に営まれている秋の大祭。市の無形民俗文化財でもある祭りの中で、城下町内を巡行し、ひときわ雅やかな空気を演出している9基の鉾山(ほこやま)は、明治期に電線が張り巡らされて以降、シンボルの「鉾」を屋根に掲げた巡行ができなくなり、その姿は鉾のない「不完全な状態」(関係者)という。そんな中、河原町通りが昨年に無電柱化されたことから、地元の2基の鉾復活事業がスタートし、来春、約110年ぶりに鉾を載せたお披露目巡行を目指すことになった。事業に共感した人からインターネットで資金協力を募るクラウドファンディングを実施しており、協力を呼び掛けている。
修復されるのは下河原町と小川町の「鳳凰山」と上河原町の「三笠山」。地元自治会や篠山まちなみ保存会、秋祭保存会、城下まちづくり協議会などで、「鉾復活実行委員会」(川内隆志委員長)を組織し、「復活大作戦」を展開している。
鳳凰山は天下泰平の象徴である霊鳥「鳳凰」を鉾頭にし、見送りも鳳凰。三笠山は奈良・春日大社の三笠山になぞらえた3つの傘と三日月が鉾頭で、見送りは日本神話の神・スサノオノミコトが大蛇を退治している場面が描かれている。
同神社は平安時代の貞観年間(859―877年)に篠山城跡の位置に勧請したと伝えられ、江戸時代初期の慶長14年(1609)に現在の場所に移された。鉾山の巡行は寛文3年(1663)に始まったとされる。以来350年以上にわたって継承され、京都・祇園祭の影響を受けた鉾山などが雅な雰囲気を見せる一方、太鼓みこしが勇壮さを演出するなど、独特の祭りとなっている。
しかし、実行委によると、明治43年(1910)に電気が導入されたことで電線が鉾の障害となるため、完全な形での巡行が不可能に。電気の恩恵を受ける一方で、現在まで祭りの歴史の3分の1が「鉾なし」の鉾山となっていた。祭りの期間中、鉾頭は各地で展示されている。
無電柱化されたことや、祭りの継承と発展を目的に保存会が結成されたことなどから、「本来の姿に戻そう」という機運が高まった。
現在、京都の老舗で、皇室御用達の「龍村美術織物」社で鉾頭の修復や鉾を掲げる真木、あみ隠しの新調などが進んでいる。関連事業も含めた総事業費は2基で約400万円。県や市の助成を活用し、残りの費用をクラウドファンディングで募る。
目標金額は200万円。資金提供のお礼「リターン」には、記念図柄入りのポストカードや鉾山の乗り子体験のほか、城下町内の商店などが協力し、黒枝豆や地酒、食事券、特産物の定期便など、丹波篠山ならではの商品を用意している。
修復が完了次第、来年3月に河原町通りでお披露目巡行を実施。河原町も選定されている「国重要伝統的建造物群保存地区」がある自治体でつくる協議会の全国大会が丹波篠山市で開かれる5月にも巡行を予定している。
副実行委員長の川端登さん(78)は、「祭りは日本人の心のふるさとであることを感じ、継承のために協力していただきたい」と言い、「ゆくゆくは祇園祭のように地元だけでなく、外部の人と一緒に守っていかなくてはならない。いわゆる関係人口と呼ばれる人々を完全な鉾山でお迎えしたい」と話す。また、「将来は9基全ての鉾を復活させたい。城下町全域の無電柱化は難しいけれど、道を横切る電線さえなんとかできれば」と前を向いている。