兵庫県丹波篠山市にある四季の森生涯学習センターでこのほど、「丹波篠山市防災と福祉の連携促進フォーラム」(同市自治会長会、同市主催)が開かれた。2018年の「平成30年7月豪雨」の際、河川の決壊による浸水に加え、地域の工場が爆発する「二重の被害」に遭いながらも、自主防災組織の活動などで住民に1人も犠牲者が出なかった岡山県総社市下原地区の川田一馬さん(74)が講演。災害への備えの重要性を訴えた。要旨をまとめた。
下原地区は、100世帯300人くらいの集落で、3つの川の合流地点にある。120数年前にも高梁川が決壊して大洪水が起き、120戸のうち112戸が流出した歴史がある。東日本大震災の翌年に立ち上げた自主防災組織で本番を想定した避難訓練を行ってきた。
平成30年7月豪雨の際も訓練通り、2人1組で川の増水状況を見に行き、危険と判断したことから自主防災組織の責任において避難を呼び掛けた。
そんな中でアルミ工場が爆発。衝撃で建物の窓ガラスが粉々に割れた。最初は何が起こったか分からなかったが、ガラスの直撃を受けた人たちが血を流していた。こうして、豪雨と爆発という2つの災害に対応することになった。
川の決壊や再爆発の恐れがあったため、4キロ先にある体育館に避難することを決め、班単位で班長らが住民の安否確認と避難の呼び掛けに回った。後に下原地区は最大3メートルほど浸水したことが分かったが、1人も犠牲者を出さずに済んだ。隣接地区では多くの犠牲者があった。
なぜ、あの中で逃げられたか。現実的には「避難のスイッチ」を自分たちで押して、全戸に避難を呼び掛けたことだったが、やはり訓練。先祖からの「みんなで頑張って助け合っていこう」という気持ちがあったからで、生死の分かれ目は「家族力」「近所力」だということを実体験で知った。
もちろんわれわれの力だけではない。市や社協との信頼関係も大事で、1人でも多くの職員と顔が見える関係をつくっていたことが犠牲者ゼロにつながった。
災害後は、多い日で1日500人くらい全国からボランティアが来てくれて、一気に復興が進んだ。
災害時には自分と家族、余裕があれば近所の人の命を守ることだけを考えて行動することが重要。「了解を得てから」などと、平時のルールや慣習、常識にとらわれると逃げ遅れる。後のことは逃げてから対応すればいい。「とにかく自分は生き続けるんだ」という強い思いを持っていないといけない。
そのためにも備えが大切だが、住民一人ひとりが取り組む気持ちにならないといけない。いくら防災担当者が計画を作っても、本人や家族がその気でなければ進まない。
最近は個人情報の保護で本人が同意しないと情報を開示してもらえなくなった。要配慮者の避難のために使うといっても嫌だという人もいる。行政が言っても本人が「ほっといてくれ」という思いを持っておられる限り、地域防災は進まないという課題を抱えている。
「無関心」が犠牲者を生む。災害の怖さを1人でも多くの住民にお知らせし、関心を示さない人には関心を示すような啓もう活動をしないといけない。
できないことの羅列からは何も生まれない。できることを実行することが大切で、来るか来ないか分からないものに備えるのは「あほらしいこと」ではない。100点は無理。でも3点、4点、5点であっても役立つと思う。そう信じて私たちは取り組んでいる。