東日本大震災の発生から12年。復興の過程では、少子高齢化や地方の衰退など、日本中が抱える課題が加速し、浮き彫りになった。それらの壁と向き合い、昨年は本紙の取材に「決して美談ばかりではなかった」と本音を語ってくれた宮城県石巻市のNPO法人「やっぺす」の前代表・兼子佳恵さん(51)。彼女は今、新たな法人を立ち上げ、「女性支援」に主眼を置いた活動を展開している。復興支援活動の中からたどり着いた現在地。再びその思いを聞いた。
昨年6月に立ち上げた一般社団法人「りとりーと」。名前の意味は、「女性たちが素の自分に戻ってリフレッシュできる居場所」という。取材中、携帯電話が鳴った。さまざまな悩みを抱えた女性からの相談だ。
「夫からのDV(家庭内暴力)やモラハラ(モラルハラスメント=心無い態度や言葉で精神的に追い詰める行為)、子育てや介護の悩みなどが多いですね」と兼子さん。
子どもを出産してから夫が、「構ってもらえない」「家事や育児について指図されるのがむかつく」と手を上げたり、物を投げたりする。風邪をひいて寝込んでいると、「ただ家にいるだけで風邪ひくなんて」と言われた―。
寄せられる相談に、兼子さんはとにかく話を聞き、根気強く寄り添うことを第一にしている。5分で終わる場合もあれば、数時間かかることもある。
日頃から話を聞くトレーニングはしているが、各種問題の専門家ではないため、行政や警察などの専門機関につなぐこともある。また、一時的な避難や、冷静になるための部屋も用意しており、必要なら使ってもらう。
兼子さんは「相談される方は、実は自分の中で『答え』を持っている人が多い。その人が思っている答えにたどり着くまで対話します。相談内容も含めて、何でも屋ですね」とほほ笑む。設立から約8カ月。相談件数は延べ300件を超えている。
◆病患いながらも 「生きている自分が何かしないと」
12年前、巨大な津波が押し寄せた石巻市。市町村別の死者数としては最も多い3000人超が命を落とし、今なお行方不明の人は400人を超える。
自らも被災した兼子さんは2012年、母親仲間と共に「やっぺす」を立ち上げた。何の専門家でもない〝普通のお母さん〟たちが活動を始めたのは、物資の奪い合いなど、心も「非常時」になっていた大人の姿を、子どもたちが見ていたからだった。「これではいけない」―。そう考え、少しずつ活動を始めた。
見ず知らずの人が集まった仮設住宅でのコミュニティーづくりの支援。職を失いながらも、子どもと離れ離れになることに不安を感じていた母親たちの仕事づくりにと始めた内職「おうち仕事」。全ては「こんなことがあったらいいな」という考えを形にしてきた。母として、女性として、そして、一市民として、ふるさとをより良い場所にしていくためだった。
活動の中では無数の壁にぶつかった。外から来た専門家からは「どれだけコミットできますか?」など、訳の分からないカタカナ語を飛ばされ、「何も知らないおばさんの団体」と陰口をたたかれたこともあった。
ストレスに押しつぶされて声が出なくなり、適応障害と診断された。数年前にはがんも患った。それでも、「生きている自分が何かしないと」と活動を止めることはなかった。
「やっぺす」を始めた当初から、10年続けられたら誰かに引き継ぎたいと考えていた。後継者に引き継ぐことで、求められることに寄り添い続けられる活動にしようと思っていたからだ。コロナ禍もあり、11年目になってしまったが、新たな担い手に事業を継承することができた。
◆「女は黙ってて」 なぜ足かせに
やっぺす時代から取り組み、今も続ける女性たちへの支援。その必要性を強く感じたのは、やはり震災だ。
団体の代表として参加した会議で意見すると、「女が余計なことを言うと話が長くなるから黙って」「おなごはちょっと馬鹿な方がかわいいよ」と言われたことがあった。言い返すことができない自分のふがいなさを感じると同時に、「なぜ女性というだけでこんなに足かせがあるのか」と悲嘆にくれた。
多くの人が身を寄せた避難所では、「女はご飯を炊き、掃除をやるべき」という暗黙の役割分担があった。「話し合った結果ならいいけれど、『あんだおなごだべ』でくくられ、女性も嫌だと言えない空気があった。それはおかしいんじゃないかと思っていた」
トイレもそうだ。「男性は仮設トイレでも『ないよりまし』と考えるかもしれない。でも、女性は『きれいで照明があり、高齢者や子どもも使いやすい方が良い』と考えます」
実際、和式しかない避難所で足の悪くてしゃがめないおばあちゃんが、他の人に両脇を抱えて手伝ってもらっていた。しかし、恥ずかしくて我慢するようになり、体調を崩してしまう。「和式でも洋式にできる器具がある。こういうものを備えておけるかどうかは、『ないよりまし』の考え方ではできないのではないでしょうか」
生理用品や化粧品も男性から「ぜいたく品」と言われたことがあった。どちらも女性にとっては必需品だ。
◆気持ち伝え お互い認め合おう
仮設住宅の中では、被災し、職を失うなどしてストレスを溜め込んだ夫が、大きな声で罵ったり、妻に手を上げたり、望んでいない性行為を強要したりすることもあった。
そんな場面を幾度も見たり、聞いたりしてきた兼子さんは、「問題は男性側だけにあるのでなく、女性も自分の気持ちを我慢せずにちゃんと伝えられているか、だと気づいた。男性も言ってもらわないとわかりませんよね。男女共同参画なんて言われますが、私は『なんでも対等に』ではなく、『互いの違いや得意分野を認め合って協力しようよ』という意味だと思う」と言い、「そのためにも男性の考えを理解しつつ、自分の考えや思いを伝えられる女性だったら、お互いにわかりあえることができて、幸せに暮らすことができるのではないかと考えました」と語る。
◆「学び合いの場」 優しいつながり
「りとりーと」で受ける女性からの相談は、DVやモラハラの悩みだけではない。起業や就労についての相談もある。生きづらさを抱えている女性に寄り添うことと合わせて、前向きな女性も応援している。
また、同じ境遇に置かれているからこそ、「わかる、わかる」と共感しながら相談に乗ることができる人や、様々な相談を受けて疲れている人を支援する人などの人材育成講座も開催している。
「法人名にしたりとりーとには、『学びあいの場』という要素もあります。学び続けている人って他人の悪口言ったり、自分の価値観で他人を排除したりするようなことはしないんです。なりたい自分に向かって努力するので他人に構っている暇がない。それに誰かの相談に乗り、応援することは、自分がしんどいとできない。でも相談する相手がいたり、誰かに応援されたりしていればできる。そんな優しいつながりの輪を広げていきたい」と前を向く。
◆支え合えれば 復興もっと早い
大震災が自然によってもたらされた「破壊」ならば、復興は「再建」であり、「再構築」。簡単に言えば「一からの作り直し」でもある。その中で表面化した従来からの課題も乗り越えてこそ、より良い復興があると考える。
災害はまたいつ来るともしれない。「男性とか女性とか、専門家だとか肩書きがあるとかではなく、思いを持っている人たちが対話を重ね、お互いにできることで支え合うことができたら、もっと復興は早くなるはず。私は、100人いる避難所に10個しかパンがないから『分けられないので配りません』ではなく、『1個を10等分して配りましょう』と意見できる女性がいたらと思う。多様な視点が反映される地域だったら、どんな困難にも負けない素敵な地域ができると思います」
兼子さんは昨年、これまでの活動や思いをまとめた書籍「やっぺす! 石巻のお母さん、まちづくりに奮闘する」(英治出版)を上梓した。被災地と呼ばれた東北の母親たちが、いかにして今日までを生きてきたかが伝わる。「私たちの取り組みが、少しでも皆さんの役に立てばと思っています」