3月末に閉校した兵庫県丹波市の旧山南中学校の敷地内に、長崎から譲り受けた“被爆クスノキ”の子孫が植えられており、平和学習に力を入れてきた同校の卒業生や教諭らが「クスノキはどうなるのか」と心配している。苗木を植えてから20年以上がたち、大きく育ったクスノキ。関係者らは「山南中の平和学習のシンボルのような存在。(統合移転した)新山南中に引き継いでもらえればうれしい」と願っている。
被爆クスノキは2000年、修学旅行生の案内をしていた被爆者の末永浩さん(87)が、爆心地近くのクスノキの種から育てた苗木を譲り受けた。生徒有志でつくる平和推進委員会で木の名前を募集し、「永遠の木」と命名。地域の石材店の協力で石碑も立てた。
翌年、植え替えた際に枯れそうになったため、同校教諭が2本目の苗木をもらいに行き、隣に植えたところ、2本とも無事成長。歴代の同委員会で草引きや水やりなどの世話をしてきたという。
旧山南中では1996年、広島への修学旅行で、木版画「原爆の図」を平和記念公園に納めたことがきっかけで、作品を見て感動した被爆体験者との交流が始まった。1999年に生徒有志による平和推進委員会が発足。修学旅行の行き先は広島から長崎、沖縄へと移り変わったが、同委員会は代々引き継がれ、平和学習のリーダーとして活動を発展させてきた。
同委員会の1期生だった北村皆子さん(37)は「被爆クスノキは、貴重な“生きた教材”だと思う。できるなら新山南中に移植してほしいし、難しいのであれば、銘板を立てるなどして残してほしい。実現のために同じ思いを持った人たちとつながって、前向きに考えていければ」と話している。
丹波市教育委員会教育総務課によると、旧山南中学校からの要望で、新山南中に移植できるか検討したものの、植える場所や管理の仕方など、クリアしなければならない点が多く、統合校開校のタイミングでは実現しなかったという。同課は「『永遠の木』への思いはよく分かる。今後、山南中学校とも相談しながら考えていきたい」としている。