織田信長の弟、信包が初代藩主となった「柏原藩」。兵庫県丹波市柏原町にある柏原藩陣屋の北西隅にかつてあった藩校「崇広館」の復元を目指す団体「崇廣館を再建する会」(西垣伸彌代表)が立ち上がり、賛同する会員を募っている。再建がかなえば、“寺子屋風”の施設運営を考えており、小中学生や高校生らが自由に出入りできる「学びの館」を目指す。初めての総会を6日午後7時から古市場公民館(同町柏原)で開き、再建の実現へ機運を高める。西垣代表(77)は、「崇広館は多くの人材を輩出した、価値のある建物。再建には多くの資金が必要となるが、協力を呼びかけたい」と話している。
西垣代表によると、再建場所は以前、市の水道部が入居していた建物の跡地(現在は更地)を構想している。木の根橋や旧柏原支所(現・かいばら一番館)など、名所が点在する一角に再建できれば、観光資源としての価値も高まると考えている。
江戸期に藩校として建てられた背景から、子どもたちが学ぶ場として活用することを想定している。地域住民や高校生ら年長者が小中学生を教えるなど、寺子屋のような活用を考えている。西垣代表は「『文教のまち』としての在り方を大事にできれば」と語る。
明治期には氷上郡役所として活用されるなど、教育と行政を担った崇広館。1922年(大正11)には、アメリカ出身の宣教師・ソーントンが崇広館に「日本自立聖書義塾」を設け、丹波一円で伝道した。塾生は、午前中は聖書を学び、午後は労働としてピーナッツバターの製造、販売に励んだ。同会の発起人7人の中には、崇広館とゆかりがあるピーナッツバターを製造し、販売したい意向を持っているメンバーもいる。かつて製造に使われていた機械が現存しているといい、その展示もできればと考えている。
崇広館は2007年に解体され、現在は青垣リサイクルセンターに部材が保管されている。西垣代表は「今後、再建費用の積算をする。クラウドファンディングもできれば」と話している。
年会費1000円。総会は誰でも参加できる。趣旨説明などに続き、丹波新聞社の荻野祐一会長が「崇広館の歴史」と題し講演する。
そうこうかん 1858年(安政5)、藩政改革に大きく関わった青垣町佐治生まれの儒学者、小島省斎の進言を受け、現在の県柏原総合庁舎テニスコートの辺りに建てられた。建設には領民も協力し、義援金や資材を出すなどした。10歳以上の藩士の子弟らが通い、四書五経の素読を中心に学んだ。71年(明治4)、廃藩置県により藩校でなくなったが、73年に開校した崇広小学校の校舎として利用された。79年には氷上郡役所として生まれ変わり、後に2階部分を増築。1階の和風建築と同一化するように洋風建築を取り入れた。1934年(昭和9)、隣接の柏原高等女学校の講堂建築のため、今の法務合同庁舎がある所に移築。「ことばの教室」などに使われたが、2007年、同合同庁舎建築のために解体された。