2023年が終わる。これまで7回に渡って、コロナ禍と兵庫県丹波地域の3年間を振り返ってきた。最後に記者として振り返っておきたいこと、一市民として大切にしなければならないと感じたことをつづる。
「頑張ってや」―。記者の肩をたたき、笑顔でそう言ってくれた大好きな人が新型コロナウイルスに感染し、逝った。2年前のことだ。しばらくたってから訃報を知った。葬儀は伝えられず、コロナによって命を落としたことも伏せられた。家族が周囲の目を恐れたからだった。「すぐに言えなくてごめんね」。後に家族はそう声を震わせた。一緒に泣いた。
コロナ禍という言葉が過ぎ去っていく。紙面に出てくる回数も減り、「コロナ禍を経て4年ぶりに」などと触れる程度になってきた。ただ、「経て」の中には、数えきれない「悲しさ」があったことを忘れてはいけないと胸に刻む。
未知のウイルスによって全世界が苦しんだ。命を落とした人はもちろん、感染した人や家族には周囲の人々の「言葉」が追い打ちをかけた。
住民から相談を受けた丹波篠山市には、さまざまな声が寄せられた。「会社でばい菌扱いされている」「近所の人に感染したことを噂されていて、つらくてたまらない」。受話器から悲痛な声が漏れた。
一方で、こんな声もたくさんあった。
「近所に県外ナンバーの車がとまっている。感染が広がったらどうするんだ」「人がたくさん集まる店が営業していていいのか」「近所を人がうろうろしている。なんとかしろ」「感染者を隠しているんだろう」「お前ら、いったい何しているんだ」
記者も昨年、感染した。復帰後、感染を伝えていなかった知人から、「うつったんやろ?」と言われて驚いたことがあった。「なんで?」と聞くと、「家に車が毎日とまってるって聞いたから」。別の知人は冗談交じりに「うつさんといてや」と口元を押さえた。特に気を悪くしたわけではないし、笑って返したが、ざらっとした感覚は残った。
丹波新聞社にも怒りの声が寄せられたことがあった。それは美しい花の写真や、マスクをしていない人の写真。「こんな記事を載せたら、見に行く人が出てきて感染が広がるだろう。ふざけるな」「ノーマスクの人の写真を載せるなんて、頭がおかしいのか」
社会が危機的な状況に陥ったとき、「人の心はここまで歪むのか」と感じさせられた3年でもあった。
以前の日常に似た時間が戻ってきた。感染対策に尽力したとして、丹波篠山市から感謝状を贈られた市医師会副会長の小嶋敏誠医師(52)に、今後の教訓として何を学ぶべきか、と尋ねてみる。小嶋医師は少し考えてから言った。
「今なら『治って良かったね』くらいのことだが、初期には感染した人々への差別的なことがあった。そういうことは本当によくない。もし、また新たな感染症がやってきたとしても、感染した人への優しさを持つことを忘れないでほしい。その優しさがあれば、みんなが一丸となって新たなウイルスにも打ち勝っていけるのではないでしょうか」
私たちは専門家ではないし、感染対策だけで言えば、自身の身を守ることしかできない。しかし、このまちや社会全体を守っていくために私たちにもできることは、「優しさを忘れない」ということではないか。
折り鶴一つをパンと交換したパン屋さん、医療従事者にと寄付金やマスクを贈った人たち、日々消毒を続けた病院や介護施設、学校の職員、今もワクチン接種をサポートするコールセンターのスタッフ―。3年分の紙面を振り返れば、そんな優しさが詰まった記事もたくさんある。
7回にわたってコロナ禍と丹波地域の3年間を振り返った。最後に丹波篠山市が市内のさまざまな団体と共に2021年4月に行った共同宣言の中にある言葉を記して幕を下ろしたい。
感染された方や医療従事者、その家族などに対する心無い差別や偏見、誹謗中傷をしません―
感染された方が戻ってこられたとき、「ただいま」「おかえり」と言いあえる、優しさと思いやりのあるあたたかいまちづくりを目指します―
忘れないでいたい。
=おわり=