2020年1月から23年5月までの間、国内の感染者は約3380万人に上った。そして、命を落とした人は、約7万4000人。たった3年の出来事だった。
兵庫県丹波地域の最終的な死者数は公表されていないが、興味深いデータがある。厚労省の「新型コロナウイルス感染症診療の手引き」のうち、21年7月末に更新された「第5・2版」。この中に20年2月1日から、ワクチン接種が始まった頃の21年6月11日までの感染動向がある。
この間、県全体では4万406人が感染し、うち80歳以上の割合は10・8%。予測致死率2・08%に対し、致死率は2・98%。予測以上に亡くなっている。一方、丹波地域の感染者は240人。予測致死率1・22%に対し、致死率は0・84%。予測よりも死者が少ない。80歳以上の罹患率も県全体と比べて3分の1以下だった。
同様のデータはこれ以降、掲載されていないが、その後もほぼ傾向は変わっていないとみられる。
コロナ禍の災いは経済や精神的な面も含まれるが、少なくとも身体面で言えば、丹波地域は他地域と比べて影響を抑えることができていたことを示している。
その要因は、丹波地域独自の医療体制「丹波方式」だ。かかりつけ医で検査し、陽性と分かった場合は、兵庫医大ささやま医療センターで重症化リスクの判断や早期治療を実施。入院が必要になった場合は保健所が調整する、というものだった。
他地域では保健所が問診で無症状、軽症などと判断し、入院、宿泊療養などと決めていたが、丹波地域は感染初期から医療が介入し、重症化を防ぎながら、短期間での回復につなげていた。
体制をけん引した片山覚医師(68)=現・岡本病院副院長=は、市民と医療機関が同じチェックシートを使って適切な診察につなげたことで、特にワクチン接種が始まる前の段階で、医療機関や介護施設などでクラスターを起こさなかったことが大きいとみる。逆にワクチン接種までにクラスターが発生した地域では致死率が高くなった。
「いつも繰り返して言ってきたのは、『地域チーム医療』。予防から治療までを包括的に地域の行政と医療、介護施設がチームとなった上で、国や県から降りてくる指示をそのまま実践するのではなく、独自の工夫とやり方を実践できたことで、地域の致死率を一貫して低く抑えることができた」
座して待つのではなく、正面から課題と向き合い、研究し、より良い方法を共につくり上げる。それが丹波地域では、できた。
5類移行後、夏にはデカンショ祭をはじめ、多くのイベントが復活し、秋祭りも各地で営まれた。途切れた時間は行事の継承などに大きな課題を残し、コロナ禍を機になくなった行事もあるが、人々が笑顔で集うことができる環境は戻ってきた。マスクを着けない人も多くなった。
今もコロナに感染する人はいるものの、あれだけ恐れ、騒いだコロナ禍が少しずつ記憶の海に溶けていく。
丹波篠山黒枝豆のシーズンも終わった11月。丹波篠山市は、「感染対策に尽力していただいた」として、市内の医療機関と県立丹波医療センターの計27機関に感謝状を贈った。酒井隆明市長が各医療機関を巡り、院長らに感謝状を手渡すと、待合にいた患者たちから拍手が起こる場面もあった。
感謝状を受け取った市医師会長の芦田定医師(67)は、「ただただ疲れた3年間でした」とため息を漏らしつつ、「患者さんからのいたわりの言葉がエネルギーになって頑張れたし、医師会の皆さんの医者としてのプライドも見ることができた。市との連携もありがたかった」としみじみと語った。
市民に覚えておいてほしいことは、「必ずまたパンデミックは来るということ」と警鐘を鳴らす。
将来、また、何かの「禍」が訪れる。その時、この3年の経験を生かすかどうかは、私たち一人ひとりに課せられた宿題でもある。
=⑦につづく=