2021年5月24日、1年延期となっていた東京五輪の聖火リレーが、兵庫県丹波篠山市にやってきた。篠山城跡の三の丸広場内に特設コースが設置され、フィギュアスケートの紀平梨花選手やタレントの武井壮さんら著名人をはじめ、約110人のランナーがリレーに臨んだ。緊急事態宣言中のため、公道は使えず、観客もなし。ランナーが走る距離は1人20メートルのみという異例のリレーだった。
約2週間後の6月7日、同市内の65歳以上を対象にしたワクチン接種がスタートした。5月21日の予約開始から6月4日までの間に予約した人は対象の84・9%に達した。
ファイザー社製ワクチンは、1回目の3週間後に2回目を接種する。7月18日までに2回合わせて1万2480人が接種した。市内約20の医療機関で、1週間当たり4160人に接種するという驚異的な数字だった。
この頃に公表された市内の接種率は1回目89・60%、2回目67・54%。いずれも県平均を大きく上回っており、注目度の高さと、「かかりつけ医」での個別接種という体制が奏功したことを示している。
一方、市のコールセンターには、時に怒りの電話が寄せられた。「基礎疾患があるのに、なぜ早く打てないのか」「殺す気か」「お前たちの怠慢だろう!」。慣れないワクチン接種ゆえの不備や混乱によるものもあったが、根底には感染への不安があった。
市は65歳以上に続いて、64歳以下の接種を7月19日からスタートすることを決めた。ところが、国からのワクチン供給のめどがたたず、急きょ60―64歳に変更する。
「医師会の協力で接種は順調に進んでいるのに」―。市保健福祉部の山下好子部長(59)は頭を抱えていた。要求した量のワクチンが来ないのだ。
国の配分計画は、いつからかワクチン接種の記録システムによる接種率が高い自治体から配分していくことになっていた。
丹波篠山では医療機関の負担を減らすために、システムへの入力は市が担当。各医療機関から接種券を回収して回るため、入力を終えるまでには時間がかかる。そのため、週に2回発表される接種率と実際の接種率には相当の差があった。
そもそもシステムは接種の管理に「便利だから」と国から与えられていたが、いつの間にかワクチンを巡る自治体間競争の中に放り出されていた。
「ワクチンが来ない」―。口を開けばこんな言葉しか出ない。登り始めたはしごは、何度、手を伸ばしても次がつかめなかった。
その後も供給量は滞り、59歳以下からは再び、年齢を区切るか、先着順にするか、判断を迫られる。不安はあったものの、市は供給されたワクチン量で全年齢を対象にし、「先着順」にすることへ舵を切った。
予約はすぐに埋まっていくが、思っていたほどの混乱はなかった。「市民の皆さんが落ち着いて待ってくれている」。感染症に立ち向かうためには、市民の協力も不可欠だと知った。
接種を進めながら市と医師会で協議を繰り返し、課題を見つけては改善していく。初回接種は各医療機関へ電話が殺到していたため、3回目の接種からは市がウェブ予約のシステムを導入。電話予約は基本的に市のコールセンターに一本化した。混迷したワクチン接種はなんとか軌道に乗った。
21年夏。ウイルスはアルファ株からデルタ株へと変異。8月20日からは4回目となる緊急事態宣言が発令された。県内では一日の感染者が1000人を突破。丹波地域でも10代以下の感染が急増した。ただ、ワクチン接種が奏功したのか、重症化リスクの高い高齢者の感染は減った。
年が明けた22年1月以降はオミクロン株が「最強」と言われる感染力でまん延。身近に感染者が増えていくものの、重症化する人は減っていった。
幾度も起きる感染の波をやり過ごし、23年5月、コロナは感染症法のインフルエンザと同じ「5類」になった。感染は今も続いているが、死の恐怖に怯えることは少ない生活が戻ってきた。
=⑥につづく=