「丹」12年の活動に幕 会員数減・高齢化で 災害ボランティア

2024.03.20
丹波の豪雨災害丹波市地域注目

解散に当たり前代表の打田さんの資料などをもとに編集した活動記録集「おたがいさま」に目をやる下田さん=兵庫県丹波市柏原町柏原で

東日本大震災の発生から13年目を迎えた。被災地を支援しようと立ち上がった兵庫県丹波市のボランティアグループは、会員の高齢化などを理由に解散を決意。他地域の被災地を支援するにも、自分たちの町を支えるにも欠かせないボランティア。改めて活動継続の難しさと、備えの大切さを考える機会にしたい。

東日本大震災の復興ボランティアを機に結成された災害支援ボランティアネット「丹(まごころ)」(下田新二郎代表、19人)が今月末で活動に幕を下ろす。東北での継続的な活動をはじめ、全国各地の被災地に赴き、災害復旧、復興支援に汗を流してきたが、発足から12年が経過して会員も12歳年を重ねた。近年は、新型コロナのためボランティアセンターの受け入れ制限もあり、活動休止を余儀なくされていた。団体解散後は、個人でできる範囲で活動する。

東日本大震災が発災した年に市と市社会福祉協議会が募集したボランティアに参加した打田諭志さんら4人が、同年に発生した紀伊半島大水害で被災した和歌山県那智勝浦町へボランティアに駆け付けた。大雨で土砂崩れした地形が丹波市によく似ていたことに身をつまされ、災害発生時に活動できる体制と、「いざというときに生きる顔見知りの輪」を広げようと、12年4月に発足した。会員は60歳代が中心だった。

「丹」災害支援活動一覧 ※石巻市と気仙沼市は「丹」発足前

12―16年は足しげく宮城県南三陸町、七ヶ浜町、福島県南相馬市小高区へ通った。この間、地元で起きた丹波市豪雨災害(2014年8月)では、現場作業のほか、ボランティアセンターの運営協力に携わり、貢献した。熊本地震、九州北部豪雨、岡山を襲った西日本豪雨といった災害時も被災家屋の片付けや復旧作業に従事した。

発足の12年度に46人だった会員は、16年度にピークの63人に達した。この年度までは年間4、5回の活動があったが、東北への長期的、継続的支援を終えた翌17年度から活動回数が減るに連れ会員が減少。東北支援時はバスに乗り切れないほど集まっていた参加者が、19年の岡山真備水害の2度の支援は10人、12人と2桁集めるのがやっとになっていた。

同年の長野県豪雨災害の復興支援に出かけようと、現地と具体的にやり取りしたが、「団体は受け入れられない」「県内に限る」と条件が合わなかった。翌20年1月に始まった新型コロナ禍で、ここ4年間は活動ができなかった。

解散に向けて話し合う最中に能登半島地震が発生。2月初めの役員会で「炊き出しに行っては」の声も上がったが、現地の受け入れ体制が整わなかったことに加え、道路事情が悪く、日帰りが困難となると宿泊場所の確保が必要で、食料、水、トイレまでも持って行く自己完結が求められるボランティアは、70歳代が多い「丹」では難しいと判断した。

後半の6年、代表を務めた下田さん(74)は、「こちらのスケジュールに合う範囲、できる作業内容と、現地の希望の擦り合わせが難しくなってきているように感じる」と言う。重機が扱えるなど必要な技能を示されるケースが増えた。

解散後の丹波市の災害復興ボランティアについて「後継団体ができればいいが、70歳まで会社勤めをする時代。新規会員を集めることの難しさに私たちは直面した。団体、大人数より、専門性のある個人が小グループで活動していくような形になるかもしれない。どんな形になろうと、必要としている人の力になればいい」と話した。

事務局長を務める金川方子さん(70)は、「最初はしんどいことばかりだったが、南三陸町に行くたびに元気になられる姿をつぶさに見られて、人とのつながりができ、私たちが元気をもらった。本当に貴重な経験をさせてもらった」と、有意義な活動だったと振り返った。

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