かつて、次男が引きこもりの当事者だった後藤誠子さん(岩手県北上市)が、兵庫県丹波市で当時の思いや、次男とのエピソードを語った。関連記事、「包丁持ち『人生終わった』」「死ぬ場所探した次男『生きていてごめん』」から続く。
気付いた親のエゴ「引きこもっていい」
外に出たくても出られない、ということが私には分からなかった。そして、次男のことが分からない、ということが分かった。自分が育てた子なのに考えていることが分からなかった。積み上げてきたものが足元から崩れ去ったようだった。
それでも、次男と私は違う人間なんだとも思えた。良い学校や会社に行ってほしいというのは親のエゴだ。私の願いを背負わせていただけだと気づいた。次男の人生に親が介入しなくていい、別々の人格を持つ尊敬すべき人間で、引きこもってもいいと思った。
そう思うと楽になった。そして自分を「諦めた」。自分の子どもが何で悩んでいるのか分からないような親だ。自分のやりたいことをやろう、親が楽しく生きていればいいのではと考えた。
次男に「お母さんは、やりたいことをやる。あなたの人生だから、いつまでも引きこもっていていい。お母さんは、あなたのことや自分のことを、いろんな人に話して回るよ」と伝えた。
次男は「もちろんだ。どんどんやれ」と言ってくれた。「お母さんに家で暗い顔をされると、気持ちが悪い」とさえ言われた。次男は、自分と母が切り離され、母が自分の人生を自分で歩いてくれるのを待っていたようだ。
自分の人生歩む「あなたはあなた」
その後、私は地元のラジオ局に乗り込み、不登校の子がいる親であることを発信したいから、ラジオ番組をやらせてほしいと売り込んだ。
そして、次男が元気になると、SNS(交流サイト)でも発信し始めた。そうすると、毎日が楽しくなった。私は自分の言葉で思いを表現することが大好きで、生きていると感じられた。
ある日、「今日は次男のことを思い出さなかったな」と気づいた。そして、次男が笑うようになったことにも気づいた。私がやりたいことを見つけて突っ走っただけなのに。
ある取材を受けた時、次男に対して「引きこもりの当事者として、知ってもらいたいことは何ですか」と質問があった。次男は「知ってほしいことは何もない。知ろうとしてほしい」と答えていた。自分の意思で知ろうとしてほしいということだ。たくさんの人が苦しんでいるが、自分から知ろうとする思いを持って関わることが、支援の近道と思っている。
私が元気になり、次男も変化していった。私が立ち上げた、誰が来てもいい居場所「ワラタネスクエア」は、岩手県北上市から委託を受け、引きこもり地域支援センター事業をしている。次男は自らスタッフになった。私と次男の人生は違うから、引きこもっていていいと思っていたのに、「働きたい」と言うから驚いた。
子どもは何事もなく育って社会に出るのが楽だが、そうすると母と息子はゆっくり話す時間はない。私は幸せで、ありがたいと思っている。
次男は、自分の生きづらさを言葉にできるようになった。なぜ学校に行けなくなったか分からなかったそうだが、人に話しかけるのが苦手だったと教えてくれた。次男はお笑いの動画を見ているが、話をする勉強になるから見ているそうだ。
ワラタネスクエアでは、「あなたはあなたのままでいい」とみんなが思っている。安心していられることで、人はもともと持っている力を発揮できるようになると思う。いろんなプレッシャーがあり、発揮できなくなっているだけだ。
自分の人生を歩けるようになったことを、次男に感謝している。私にしかできないことがあると、次男に気づかされた。私は世界一、幸せな母親だと胸を張って言える。