包丁持ち「人生終わった」 後藤誠子さん講演 不登校ひきこもりの親が幸せな理由㊤

2024.03.04
丹波市地域注目

次男の匡人さんが不登校になった当時を語る後藤さん=兵庫県丹波市春日町黒井で

不登校や引きこもりについて考える「それぞれの生きづらさを心で感じる講演会」(大槻真也実行委員長)が、兵庫県丹波市のハートフルかすがで開かれた。かつて、次男の匡人さんが引きこもりの当事者だった後藤誠子さん(岩手県北上市)が、「不登校ひきこもりの親が幸せな理由―安心の居場所がもたらす変化」と題し講演。学校に通えなくなった次男の気持ちが理解できなかった当時の思いや、「死ねなくてごめん、生きていてごめん」と涙を流した次男の言葉に衝撃を受けたエピソードを赤裸々に語ったほか、次男や支援者との関わりの中で気付いた支援の在り方などを話した。現在、地元で「笑いのたねプロジェクト」を展開し、当事者や家族のサポートをしている。3回にわたり要旨を掲載する。

■「幸せのレール」 突然の不登校に

次男は進学校といわれる高校に入学した。私は、良い高校と大学に行き、誰もが知っているような会社に入って、お金をたくさんもらって生きることが一番の幸せだと思い込んでいた。次男がそのレールに乗ったと思い、うれしかった。

1年生の夏休み、朝から講義があるのに次男は起きてこなかった。2階の部屋に行くと、真夏なのに毛布をかぶり、ベッドの上で小さくなっていた。異様な光景なのに、私はそう思わなかった。何より、次男が学校に行かなくなることの方が心配だった。不登校なんて言葉は頭にはなかった。理由を尋ねることさえせず、「なぜ学校に行かないんだ」と聞いた。

次男を引きずり、無理やり車に乗せて高校に行った。これが毎日になった。やがて次男は疲弊し、顔の表情がなくなっていった。ロボットや人形のような状態だった。部屋のカーテンを閉め、ベッドに横たわって天井を見るだけになった。包丁を持ち出し、次男の枕元に立ったこともあった。子どもが学校に行けないということは、人生が終わりだと思った。次男を殺して自分も死ぬしかないと思い詰めた。

■高校は卒業も 天国から地獄に

無理やり連れて行こうとしても、状態は良くならなかった。ある時、「学校に行け」と言うのをやめてみた。そうすると、不思議なことに、体育祭や文化祭、修学旅行など、勉強がない日には行くようになった。出席日数が積み重なり、高校を卒業できることになった。

次男は、ギターを作る職人になりたいと言った。自分でやりたいことを見つけてくれて、うれしかった。次男には、中学時代からの友人が1人だけいた。その子はギターの演奏が上手で、次男は上手くなかったが、作る方なら役に立てると考えたようだ。ギター作りを教えてくれる学校は東京に2つしかなかったが、お金を出すことで次男が普通に生きていけるなら払おうと思った。うちは母子家庭だったが、お金で何とかなるならと思った。

ところが、東京に行って1年たたないうちに次男から電話があり、「学校に行っていない」と報告を受けた。天国から地獄だ。東京で楽しく生活していると思っていたのに。頭によみがえってきたのは、次男が不登校になった、あの夏だ。もう二度とあれは嫌だと思った。「お願いだから学校に行ってくれ」とお願いした。

「何があったのか」「何がつらいのか」と聞かず、私の事情だけ押し付けてしまった。さらには、「お金を払うから学校に行ってください」とまで言った。「一日、学校に行ったら1000円あげるから」とさえ言った。すると電話が切れ、一切、連絡が取れなくなってしまった。

当時の私は、学校に行かないことで、子どもが死んでしまうことがあるとは思いつかなかった。5日後、ぼーっとテレビを見ていたら、新宿駅の映像が映し出された。20歳代前半の男性による人身事故で、電車が遅れている―と。まさに毎日、次男が利用していた駅だ。次男はもう、この世にいないかもしれないと思った。=続く=

 

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