死ぬ場所探した次男 「生きていてごめん」 後藤誠子さん講演 不登校ひきこもりの親が幸せな理由㊥

2024.03.07
地域注目

親の会に参加したことで、自身の安心につながったと語る後藤さん=兵庫県丹波市春日町黒井で

かつて、次男が引きこもりの当事者だった後藤誠子さん(岩手県北上市)が、兵庫県丹波市で当時の思いや、次男とのエピソードを語った。関連記事、「包丁持ち 人生終わった」から続く。

人身事故は次男ではなかった。何とか連絡がついたので東京まで会いに行くと、無精ひげで、よれよれのTシャツとジーンズ、底が外れたスニーカーを履いた次男が来た。骨と皮だけかと思うほど痩せていた。

そんな姿で外に出るのは、うつ症状が進んでいたよう。そんな状態でも、母親が喜ぶならと思って来てくれたようだ。後に、いろんな引きこもりの当事者に会ったが、「母親に喜んでもらいたい」と思うそうだ。

次男は、「まだ東京から帰りたくない」と言った。私自身も、そんな状態の次男に帰ってきてほしくなかった。世間の目があるからだ。次男が帰りたくないと言った時、「良かった」と思ってしまった。

次男は、東京駅まで送ってくれた。地下で食事をしていた時、私は次男に「大変だったね」と優しく声をかけた。すると次男の手が止まり、テーブルに涙が落ちた。絞り出すような声で、「死ねなくてごめん。俺みたいな子どもが生きていてごめん」と言った。

自分の子どもに謝られた。そこまで苦しんでいると知らなかった。後で聞いたが、連絡が取れなかった5日間、死ぬ場所を探して歩き回っていたそうだ。踏切に飛び込もうとしたが、最後の一歩を踏み出せなかったと教えてくれた。

本当にショックで、これは私一人で何とかできる問題ではないと、ようやく分かった。家族相談会や、親の会などが、地元の岩手県北上市にもあった。30年ほど前からあるそうで、次男が高校生の時もあったのに、当時は行かなかった。そんな所に行ったら終わりだと思っていた。傷の舐め合いで、良い事なんかないと、ばかにしていた。

それでも、今回は行かないといけないと思って行った。そこには当事者の父母たちがいて、話を聞いてくれた。私は大号泣してしまった。安心の涙だった。それまで、苦しんでいるのは私一人だと思っていたからだ。同じ思いを持っている人がいると思うと、ものすごく安心した。親御さんには勇気がいると思うが、そういう所につながってほしい。

そうやって親の会に参加したり、心療内科がやっている家族相談会に行ったりした。そこでは、家族心理士がいた。みんな、子どもが引きこもりになるなんて、夢にも思っていない。実際、そうなったとき、どうすればいいのか分からないので、学ぶことは大事だと分かった。

やがて1年たち、次男が東京から帰って来た。肉付きが良くなり、身なりもこざっぱりしていた。仕事や学校に行けと言われないので、良い状態で過ごしていたようだ。

ギター好きの次男の友人は、次男が東京から帰って来てからも、ご飯を食べに連れて行ったりしてくれた。ある時、その子に「いつもありがとうね」とお礼を言ったら、「俺があいつと一緒にいたいから、楽しいから誘っているんだ」と教えてくれた。仕事もできない次男に価値があると教えてくれた。「生きているだけで価値がある。一緒にいて楽しい友だちなんだ」―と。この言葉は宝物だ。

この友人と次男が出かけた翌日、次男は怒りでこぶしを握り締めていた。出先で友人の知り合いと一緒になったという。その知り合いが次男に、仕事のことなどを聞いたそうだ。次男は「何もしていない。家にいる」と正直に伝えたところ、「うらやましいな。俺もそんなご身分になりたいもんだ」と言ったそうだ。

そう言われた次男が怒った。「そんなにうらやましいならやってみろ。引きこもってみろ」と言いたかったそうだ。それまで私は、次男は甘えている、怠けていると思っていた。=続く=

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