能登半島地震で被災した石川県輪島市の障がい者施設で、定期的に歌声が響いている。入所者とともに歌っているのは、シンガーソングライターの石田裕之さん(43)=神戸市。1月から継続的に能登を訪れてはミニコンサートを開いており、「こんな時に歌っていいのか、という思いは今もあるけれど、喜んでくださる人がいる。ボランティアの自粛ムードもあるが、こんな形の活動もあるということを示すことができたら」と活動を続けている。
阪神淡路大震災を経験した神戸市民として、東日本大震災や熊本地震などでも現地でさまざまな活動を行ってきた石田さんは、1月下旬に初めて能登を訪れたが、歌による支援ではなく、生活再建に至る流れを記したチラシを印刷して届けることが目的だった。事前に現地の人と連絡を取り、インターネットが使えない高齢者には紙の方が喜ばれると聞いていたからだ。
つながりのできた避難所などでチラシを手渡し、「これは助かる」と喜ばれた一方、「まだそんなこと考えられない」という人もあり、被災した人たちの苦悩も垣間見た。
そんな時に訪れたのが輪島市門前町にある障がい者施設「ふれあい工房あぎし」。兵庫県丹波篠山市で福祉事業所を運営している一般社団法人「みずほの家」とつながりがある施設で、石田さんは同法人の理事も務めている。
新鮮な野菜などを届けた際に、シンガーソングライターと知った周囲の勧めで急きょミニコンサートを開くことになった。「こんな時に歌っていいのか」と思いながらも、みんなで楽しめる歌を選曲。「ふるさと」「上を向いて歩こう」などを歌ったところ、集まった入所者や職員から拍手と歓声が起こった。当時、施設ではテレビが見られなくなっており、娯楽が求められていたからだった。
「遠い所から来てくれてありがとう」「次はいつ来てくれる?」―。別れ際、多くの人が石田さんの手を取り、交流が生まれた。施設の職員は、「本当に良かった」と声を詰まらせ、目には涙が浮かんだ。石田さんは、「自分の歌がどうこうではなく、地震のことを考えない時間ができ、みんなで楽しめたから喜ばれたのではないか」と振り返る。
「次に来るときに歌って」とたくさんのリクエストも寄せられ、1月下旬からこれまでに計4回、同施設を訪れてはコンサートを開いている。同様につながりができた珠洲市や七尾市でも、仲間との炊き出し支援とともに歌っており、会場には歌と笑顔があふれる。
「行けば行くほど関わりが増えて、『被災した人たちだから』というのではなく、普通の人と人との付き合いになる。『自分が歌いたい』ではなく、歌を楽しみたい人がいてくれるから成立しているし、その人たちのおかげで歌うことができる」と語る石田さん。改めて歌の力に驚かされている。
「再建の情報など、自分なりにいろいろと考えてみたけれど、なんだかんだいってこれしかできない。喜んでもらえるなら苦手なことよりいい」と苦笑。「被災地のすべてを知っているわけではなく、どこでも歌が喜ばれるわけではないと思う。でも、せっかくつながった人たちとの縁を大事にしたい」と自分なりの活動を続けている。