「とりあえず、やってみる」 パリ五輪への挑戦終え カヌー・スプリントの細見さんインタビュー

2024.04.28
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にこやかにインタビューに答える細見茉弥さん

カヌー・スプリントのパリ五輪予選を兼ねたアジア選手権で惜しくもパリ五輪の出場権を逃し、兵庫県丹波市に帰郷した細見茉弥さん(23)=長野県競技力向上対策本部=に、改めて大会の感想や、大学卒業後も競技を続ける決断をした理由などを聞いた。細見さんは18―21日、東京五輪会場の海の森水上競技場(東京都江東区)で開かれたアジア選手権で、女子カヤックペア500メートル決勝で4位、同シングル500メートル決勝で6位だった。

―お疲れさまでした。五輪がかかった特別な大会。特別な緊張はありましたか。

レースはどれも緊張するけれど、五輪がかかっているレースの実感がなく、ほぼ平常心で臨めました。周りの方が緊張していました。

―パリに届きませんでした。力の差は歴然でした。

技術が全然足りない。ひとパドルでの艇の伸びがまだまだ。私は、ピッチは速いのに進まない。体力勝負で通用するのは国内まで。水のつかみ、つかんでからの体の使い方がまだまだ。年月をかけて経験を積んでいかないと。

―これからの目標を教えてください。

今までは日本で1位、これからはアジア、世界で戦えるようになっていかないといけない。オリンピックに出るアジア選手と私の差は、今は大きい。5月のワールドカップでさらにレベルが高い、世界との差を感じたい。結果を気にせず、力を全部ぶつけます。

―競技は大学でやめ、一般企業で働こうと就職活動をしたそうですが、心変わりした理由は。

初めて社会人と戦った3年生の3月の日本代表選考会で6位に入りました。7位までが日本代表候補合宿に進み、4人が選ばれた。私はそこで落選。自分はただの学生の部活動で日本代表を目指しておらず、選考会の意味すら理解していませんでした。合宿で、代表を目指す社会人との意識の差を痛感し、同時に、代表入りまであと一歩の手応えがあり、もう1年続ければ日本代表になれると考えました。自分の艇を買ったのも、卒業後も競技を続けると決めた4年生になってから。選考会に通ると、卒業翌月の4月から代表候補合宿が始まるので、一生懸命、所属先、競技が続けられる就職先を探しました。2028年国体開催地の長野県に売り込み、国体強化選手枠で採用してもらいました。自宅は飯山市にあります。

―長野県職員として、競技に専念している訳ですね。日本代表選手の生活がイメージできません。教えてください。

この1年は、石川県、高知県、都内の合宿生活で、2028年まで合宿と大会出場が続きます。

練習は週6日。1日はオフ。練習メニューはウエイトトレーニングを含め、全て決められています。午前中にこぎ、ウエイトをして昼休みを挟み、午後にこぎ、終わるのは夕方4時―4時半ごろ。私は昼の休息時間に眠ります。ウエイトが大学時代の週2、3日から週6日になり、全身に筋肉が付き、体つきが変わりました。筋力は鍛えればすぐ結果が出ますが、水上の技術はそうではありません。

食事制限はありません。自炊はせず、滞在先の施設で提供されるものを食べたり、食事提供がない所で合宿する場合は、近所の食堂と契約し、用意してもらったりしています。チームで動いていますから。

―細見さんの挑戦は丹波市民に勇気を与えています。メッセージを。

うーん。「とりあえず、1回やってみること」かなあ。自分に何が合っているか、どこに才能があるか、やってみないと分からない。楽しかったら続けたらいい。私は楽しくて、やっていたら、たまたま速くなった。やってみないことには始まらない。

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