兵庫県丹波篠山市安口にあり、西国三十三所の観音菩薩を刻んだ石仏が安置されている里山「金比羅山」を、より誰もが訪れやすい場所にしようと、安口東自治会(梅田俊郎会長)が整備事業を展開。雑木の伐採が進み、頂上付近からは地域を一望できる。北側には戦国時代の山城や砦跡が残る山があり、雲海が出る季節には“空に浮かぶ山城跡”も見られるという。かつては子どもたちの遊び場でもあった里山。住民らは、「とても見晴らしが良くなった。ぜひ多くの人に登ってほしい」と話している。
金比羅山は集落を抜ける西京街道の南側にそびえる小高い山。標高約360㍍で、登り口から100㍍ほど、約15分で山頂に到達し、手軽なハイキングを楽しめる。
中腹から山頂にかけて、西国三十三所霊場の観音菩薩を刻んだ石仏が並ぶ。同集落も江戸時代に起きた「天保の大飢饉」(1833―39)の影響を受けたことから、「二度とこのような厄災が起こらないように」との願いを込めて、村人の代表が三十三所の霊場を巡って砂を持ち帰り、近隣村の有力者からも寄進を受けて「ミニ三十三所」を完成させたと伝わる。
登山口への道には案内の石柱が残り、「安政三年」(1856)と彫られていることから、飢饉後、十数年をかけた一大事業だったことがうかがえる。
完成から200年近くたった現在も石仏は完全な形で残り、毎年4月17日には村人たちが「観音まつり」を営んでいる。
くしくも新型コロナ禍という厄災が起きた昨今。「先祖が守り、残されてきた石仏などの遺産や文化を再認識し、再び住民の安寧な暮らしを願う山として再生を」という声が出たことから、昨年度から市の補助を受けて3年計画で整備。雑木を伐採し、登山道の修復などを行った。引き続き、ベンチや植樹などの整備を行う。
また、北側には戦国時代に多紀郡東部の守りを任された籾井氏の枝城「安口城」や「安口西砦」が残る山がそびえる。織田信長の命を受けた明智光秀による丹波攻めで落とされた山城跡で、金比羅山の整備が完了次第、安口城跡も整備予定。主郭部の雑木伐採で曲輪などの遺構が見える状態になり、雲海シーズンには金比羅山から「天空の城」として知られる竹田城(朝来市)のように見下ろすことができるという。
今年も観音まつりを営み、近くの観音寺の平和宏道住職(49)が33体の石仏を巡りながら読経。住民らも静かに手を合わせて祈りをささげた。眺望が良くなってから初めて登る人もおり、「すごい景色」「きれいやな」「よお見える」と感嘆の声が上がった。
梅田会長(74)は、「整備が地域活性化につながれば。来年には丹波篠山国際博が開かれる。住民だけでなく、より多くの人に登ってもらいたい」と笑顔で話した。
整備を発案した森田栄さん(67)の生家は代々続く庄屋で、5代前の森田文右衛門(義憲)が天保の飢饉後の嘉永2年(1849)に西国三十三所霊場を巡った際の記録「西国道中記」が残されている。森田さんはこの旅が「霊場の砂を集めてきた」という言い伝えのことではないかと推測する。
史料によると、文右衛門は安口村と隣の川原村の住民を伴い、4月6日に出発。各霊場を訪れた日や休憩、宿泊地などを詳細に記しており、29日には33番の華厳寺(岐阜県)に到達している。
森田さんは文右衛門の足跡を地図に落とし込んでおり、その健脚ぶりと思いの深さに驚嘆している。