被災で生まれたつながり 日常付き合いで「共助」を 連載「豪雨災害から10年、あの日に得た教訓」②

2024.08.24
丹波の豪雨災害地域地域注目

2014年8月、兵庫県丹波市市島地域を中心に甚大な被害が発生した豪雨災害から、今年で10年を迎える。記録的な大雨は山腹崩壊を起こし、土石流となって人々の営みを難なくのみ込み、尊い1人の命をも奪った。「丹波は比較的災害の少ない地域」という神話が崩れた瞬間でもあった。それでも人々は立ち上がった。防災・減災を目的とする取り組みや、結んだつながりを生かす活動、災害を機に始めた住民の新たな挑戦は、今につながっている。“あの日”を振り返るとともに、災害から得た教訓をテーマに人々の足跡を追う。

地域の高齢者たちに届ける弁当づくりに精を出す「ぽんぽ好」のメンバーたち=兵庫県丹波市市島町上鴨阪で

「外へ出た時は顔面蒼白。力が抜けていった」「悪い夢を見ているみたいだった」―。市島町上鴨阪に住む同世代の女性5人で組むグループ「ぽんぽ好」。同グループ代表の今井頼子さん(68)、荻野典子さん(67)は、目の前の惨状を現実とは受け入れられなかった。

同グループは週1回、市島地域の高齢者らに安価な弁当の配食活動を展開している。発足のきっかけは、14年8月に発生した豪雨災害時の炊き出しだった。

山では土砂崩れが起き、土砂や木々が集落に流出。のどかな田園風景は一変した。途方に暮れる中、僧侶の団体やNPO法人などが手を差し伸べてくれて、今井さんが営むカフェを拠点に炊き出しを行った。食材や水、調理器具、ガスなど必要なものは何でも準備してくれた。

テントの屋根の下にテーブルやいすを出し、「普通の喫茶店のようなイメージ」(今井さん)で食事を提供した。被災者が飲み食いし、会話を弾ませながら、ほっとしている姿が印象的だった。

今井さんは、人々の交流と「食」が持つ力を実感。「地域を元気にするチャンス」と、懇意な近所の女性たちに声をかけ、同グループを発足。ランチを食べながら、近所の人が集える場を設けた。

店の運営や復興を学ぶ研修で全国各地の地震被災地などを訪ね、交流の輪が広がった。中山間地や離島の女性たちが集う「かーちゃんサミット」にも毎年参加。今年は初めて丹波市で開き、ホストを務めた。今井さんは「視野が広がる」と話し、余田すず代さん(68)は「災害がなければ出会うことがなかった人たち。つらかった災害が、幸せを感じられる形に変わった」と顔をほころばせる。

コロナ禍を機に、ランチは配食活動に切り替えた。現在は高齢者世帯などに体に優しい家庭的な弁当を届けながら、交流を深めている。

「困ったときに『助けて』と言えるご近所さんをつくっておくこと」と、豪雨災害で得た教訓を語る余田さん。西村恭子さん(69)は「『元気?』とあいさつを交わせるぐらいの関係づくり。もし、同じような災害があったら、まずは仲の良い仲間の顔が思い浮かぶ」と話す。今井さんは「無理せず、こうした『助け合い』の活動を続けていきたい」とほほ笑む。

オアシスいつせで、荻野さん自慢のコーヒーを飲みながら、世間話に花を咲かせる住民たち=兵庫県丹波市市島町上竹田で

旧前山保育園舎を活用した地域交流拠点「オアシスいつせ」(同町上竹田)。同町前山地区の住民約20人でつくる「オアシスいつせサポーター倶楽部」が運営を担い、カフェを開いたり、百歳体操を行ったりしている。

地域の集いの場に、と施設の整備が進む中、豪雨に見舞われた。道路にあふれた水は滝のように流れ、家の庭は「海」になった。同倶楽部代表の北村久美子さんは「つらい目に遭ったけれど、奥の地域は被害がもっとひどかった。『しんどい』とは言えなかった」と吐露する。

ほどなくして、同施設の隣のコミュニティーセンターが、水や生活用品といった物資の配給拠点になった。「大変やったね」「元気しとったか」―。自然と住民の会話が生まれ、しゃべることで心が落ちついていた。その様子を見た荻野まつこさん(79)の呼びかけで、交流施設の運営に協力する同倶楽部が立ち上がった。

荻野さんはスタッフとして施設に足を運ぶ中で「『あ、こんな人がおってんや』という新しい出会いもあった。バレーボール大会などの地域の催しがなくなる中で、交流の輪が広がった」と笑顔を浮かべる。

北村さんは「しんどい思いをしたからこそ、助け合いの大事さを肌感覚で知っている人ばかり。災害がつながりをもたらす場になったのかもしれない」と話す。

同町などを襲った豪雨災害の復旧時には、全国から駆けつけたボランティア延べ1万8000人以上が活動した。

今年、同町内で開かれるイベントでは、1月に発生した能登半島地震の被災者を支援する募金活動が行われている。「被災者の多い市島から息の長い支援を」と、同町自治振興会長会で決めた。

坂谷高義会長(78)は、「豪雨の実体験がある分、人ごととは思えない。あの時も、女子野球の選手といったボランティアの人たちがあちこちから来てくれて、本当に感謝感動だった。その恩返し。少しでも人助けができれば」と話す。

この他にも同町では復興に取り組むグループが立ち上がり、豪雨を機に多くの人とのつながりをつくり、互いを助け合える「共助」の関係性を築いた。この絆こそが、被災で得た何よりの教訓と言えるのかもしれない。

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