能登半島地震で126人が亡くなり、5537棟(全壊1738棟、半壊2049棟など)の甚大な住家被害が出た半島北東端の石川県珠洲市で、兵庫県丹波市柏原町南多田の大工・西山勝さん(43)が1カ月あまり、車中泊で仮設住宅建築に従事した。現場は「外浦」と呼ばれる、日本海に面した同市立大谷小中学校の運動場。用意された輪島市内の宿から通常、車で30分ほどの道のり。国道の崩落、う回で1時間半かかるのを嫌い、車中泊を選んだ。「不便だけれど、楽」と話す西山さんを訪ねた。
西山さんらは、2階建て72戸の木造長屋4棟と集会所を、一日90人(ピーク時)の大工チームで建てた。1231戸の仮設住宅が完成、月末完成予定の大谷を含め、389戸が建設中。珠洲市は大谷小中学校体育館を含め、今も15カ所の避難所に156人が避難している。県内の市町別で最も多い。
地震発生から9カ月以上たつ今も、半島の北を東西に走る動脈、国道249号が輪島市と珠洲市の間で通行止め。
午前7時朝礼の早出があり、応急修繕がされているとはいえ路面は段差が多く、早朝に薄暗い道を走って車を傷めたくなかった。相部屋で気を遣うのも嫌で、「内浦」と呼ばれる富山湾側のまちの中心部で寝起きした。
外浦と内浦を結ぶバイパスもトンネルが崩落し、峠を越え現場まで30分ほどかかるが、通勤の時短になった。食料品を買える店は内浦に集中し、その全てが時短営業。震災で働く人手の確保が難しく、客も減っていた。
午後5時半に仕事が終わると、急いで内浦へ戻る。「優先順位は、ガソリン、食べ物、風呂」。ガソリンスタンドは遅い店でも午後7時に閉まる。多くは午後6時。朝は7時半―8時で、出勤時は開いていない。
午後6時半に閉まるコンビニで夕食を買う。弁当が買えた日は「運が良い日」。大抵はパン。“朝食”は自販機の缶コーヒー。現場で支給される昼食が「確実に米が食べられる唯一の食事」。市内2軒のスーパーは午後6時閉店。閉店間際に駆け込んでも総菜は売り切れで、「刺身が残っているのを見たことがない」。暑い時期に車中にカセットコンロを積んでおくのは危ない、と自炊道具は持参しなかった。
数は少ないが営業を再開した飲食店は、工事関係者らで「満席」。何度か訪ねたが入れず、外食は早々に諦めた。
8月末まで自衛隊が設営する風呂を利用。隊撤収後の9月から、車で15分ほどの隣の能登町の入浴施設に通った。「自衛隊風呂の最終日に一緒になった高齢男性に『明日から風呂どうするの』と聞くと、『昨日、やっと水が通った』と言っていた」。洗濯は、珠洲市内のコインランドリーが使えた。
眠るのは珠洲市民図書館の駐車場。トイレが使える「道の駅すずなり」に近く、車中泊が多い道の駅と違って静かだった。ワンボックスカーの後部座席をフラットにして確保した170センチ四方が居住空間。「ぐっすりは眠れないけれど、身長が170センチないので、横になって休めた」
猛暑の8月、残暑厳しい9月。エアコンをつけたり、後部のハッチバックを開けて網戸にしたりして暑さをしのいだ。トイレに行くにも車を使うので、アルコールはとらなかった。
休日に1時間半ほどかけて半島中部の七尾市に南下し、買い物や外食を楽しむ。大型店舗もあり、ネットカフェで涼めた。
復興支援に従事するのは初めて。被害を目の当たりにし、心が痛んだ。「被災地で暮らすのも、店をするのも、応援に入るのも、大変だと身をもって感じた。お店が再開できても時短営業で、一足飛びに元通りというわけにはいかないことも良く分かった」と言う。
今後災害があり、大工が必要なときは、経験を生かして参加したいと考えている。「知らない人と知らない土地で仕事をしたことで、大きな刺激を受けた。職人として成長もできた」と笑顔を見せた。13日で契約を終え、帰路に着いた。
珠洲市は、247平方キロ。推計人口1万851人(8月1日)。今年1月1日は、1万1721人。住民票を地元に置いたまま市外に避難し、「みなし仮設住宅」(民間アパート)に入居している人もある。