快晴の正月「怖い」 寺全壊判定も再建へ 多くの”ご縁”が背中支え【能登半島地震1年㊤】

2025.01.16
地域注目

御堂の全壊判定を受けながらも、前を向いて生活を送る鈴木さん一家=石川県七尾市で

「快晴の正月が怖いんです」―。震える声でそう話す瞳の奥には、1年前の光景が浮かんでいた。能登半島地震から1月1日で丸1年となった。共に地震で大きな被害を受けた石川県七尾市で被災した、兵庫県丹波市出身の2人の女性。地震後、本紙記者を介して互いの存在を知り、同じ能登で暮らす丹波出身者で「のと丹波人会」を結成し、交流している。それぞれはどんな一年を過ごし、正月に何を思ったのか。いまだ復興途上で、震災の爪痕も色濃く残る能登へ足を運び、二人を訪ねた。

七尾市の中心市街地から少し離れた小高い山にある日蓮宗・妙圀寺で暮らすのが、丹波市柏原町挙田出身の鈴木淳子さん(41)=旧姓・下井=。1年前、夫で住職の和憲さん(45)、娘の沙和さん(10)と共に寺で被災した。

「今年の元日の朝は1年前とまったく同じように快晴で、風もなく、穏やかだった。冬の能登は曇りや雨、雪がほとんどで、晴れの元日は嫁いでから記憶にない。だから、『また地震が来るんじゃないか』って。とても怖かった」。その後、だんだん天候は悪くなり、午後3時までには雨が降り出した。「亡くなった人の無念の涙だったり、遺族の悲しみの涙だったり。そんな雨じゃないかなと、みんなで話しました」

記者を迎えてくれた寺の御堂は、一見、何事もないように思えるが、建物の下には地割れが縦横に走っており、調査の結果、全壊と判定された。住居部分も被災しており、半壊。境内には崖崩れも起きている。御堂は一部解体しながら、建物を引き上げて工事することになった。

数年かけての工事となり、再建にかかる総額はおよそ1億5000万円。宗派や全国の檀信徒からの支援があるものの、ほとんどは実費で、政教分離の観点から公の支援も入りづらい。

それでも、「これでも業者さんはかなり費用を抑えてくれた。20軒ほどの檀家さんは高齢の方が多く、無理は言えない。私たち夫婦が一生働き続けて返していきます」と誓う。

そんな一家を支えているのは、震災後にできた〝ご縁〟だ。

阪神淡路大震災の記憶を風化させないことやチャリティーライブを開いている「COMING KOBE」実行委員会のメンバーらは、支援物資を届け、寺でコンサート「GOING NOTO」を開いてくれた。また、能登の物産をライブで販売したほか、コラボグッズも作って寄付も募っている。

本紙記者と寺に同行したことが縁でつながったシンガーソングライターの石田裕之さん(44)=神戸市=や、石田さんが所属する「北神戸田園ボランティアネット」も炊き出しやコンサートなど、幅広い支援を行っている。

また、寺の交流サイト(SNS)や、本紙の記事を見た、丹波をはじめ、全国各地の人や寺からも寄付があった。イベントには檀家だけでなく、地域の人たちも訪れ、人が集う寺として役割を果たすことができた。

年末に書いた年賀状は400枚。うち100枚は震災後に知り合った人たちだ。淳子さんは、「もっと大変な人がいるのに、こんなによくしてもらっていいのかと思うけれど、このつながりがなかったら正気を保てていなかったかもしれない」と言い、和憲さんも、「震災直後は、追い込まれて人の本質がむき出しになっていた。私たちはいろんな人と出会えたおかげで、余計なことを考える暇もなく、精神的に追い込まれなかったと思う」と感謝する。

1年前は午後2時から初祈祷を行い、後片付けをしている時に揺れに襲われた。今年は時間を後ろにずらし、地震が発生した午後4時10分に黙とうをしてから法要。みんなで亡くなった人に思いをはせる時間を共有したかった。涙雨が降る中だった。

淳子さんは言う。「お正月なので本当は『おめでとう』だけれど、寺としては一周忌で、来年は三回忌。震災関連死も増える中、今後、正月を『おめでとう』と思うことはないかもしれない」

暗い気持ちになりそうな背中を、多くの人々の支援がそっと支えてくれる。沙和さんが自由研究で制作した被災と支援の記録が、それを見た人によって、遠く静岡や埼玉の小学校の授業で活用された。子どもたちからの手紙には、「勉強になったよ」「これからも頑張ってね」「応援しています」などの文字があふれていた。

夫妻は、「娘が一番不安に感じているのは、地震や七尾のことが忘れられること。でも、いろんな人が思ってくれている」と目を細め、「復興は人の手を借りながら自分たちがしていかないといけないこと。丹波の人からもたくさんの支援を頂いた。再建してきれいになった寺を報告できるよう、頑張っていきたいです」。

重荷を背負い、支援に支えてもらいながら、一歩ずつ歩みを進めている。

=つづく=

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