NHK「おむすび」のタイトル 震災時に動いた愛育班が参考に おにぎり作り避難所へ

2025.03.24
地域注目

NHK連続テレビ小説「おむすび」のタイトルロゴ

まもなく最終回を迎える橋本環奈さん主演のNHK連続テレビ小説「おむすび」。そのタイトルは、30年前の阪神・淡路大震災時、兵庫県丹波篠山市日置地区の「ひおき愛育班」がいち早く支援に乗り出し、避難所におにぎりを届けた活動を参考にしているという情報を得た。丹波新聞社ではドラマを制作しているNHK大阪放送局に協力を依頼。制作統括の宇佐川隆史さんに質問状を送付したところ、「はい。ひおき愛育班さんの活動を知り、このタイトルに決めました」と回答があった。なぜタイトルに結びついたのか。込められた思いとは?

ひおき愛育班は震災当日、当時の班長だった藤木千皓さんの呼びかけに応じ、分班長らが緊急会議を開催。「時間がたてば多くの支援があるはず。でも、直後はない。早く何かしないと」と考え、炊き出しのおにぎりを作ることを即断し、米を持ち寄り、そのまま作業に入った。

作ったおにぎりは被災地へ向かう社会福祉協議会の職員に預け、その日のうちに避難所に届けてもらった。それから40日間、毎日、おにぎりを握り続け、その数は1万個を超えたほか、取り組みを知った班員以外の人も手伝いに駆け付けるなど支援の輪が広がった。

以下、宇佐川さんに話を聞いた。

―タイトルは、「ひおき愛育班」を参考にされた?

はい。脚本家の根本ノンジさんと、阪神・淡路大震災を調べていたのですが、その過程で、根本さんがネットに載っている「NHKアーカイブス」の中から「心を癒した1万2千個のおにぎり」(愛育班の活動を新聞で知ったNHKが当時を再現する映像を撮影し、2022年12月に放送)という映像を見つけました。それがひおき愛育班の当時の活動に関するお話でした。

―どのような思いでタイトルに?

「おにぎりの配給が、避難所でのたくさんの方々を助けてくれた」ということを根本さんがさらに調べる中で、1月17日が「おむすびの日」ということを知りました。まさに愛育班をはじめとした多くの人々による支え合いの気持ちを忘れないようにと制定されたと聞き、根本さんは「これこそタイトルにふさわしいのでは」と、「おむすび」を提案してくれました。その提案を受けた際、私も〝真正面から震災と向き合う覚悟〟を決めたといいますか。「良いタイトルだと思います。このタイトルしかないと思います」と伝えました。

再現VTRの撮影で30年前と同じくおにぎりを握った藤木さん(2022年撮影)

―タイトル以外でも愛育班の活動で参考にされた個所はあったのでしょうか?

やはり、藤木千皓さん(当時の愛育班長)をはじめとする愛育班が根底に持っておられる思いですね。震災に関して数多くの取材をしたのですが、最初に取材をしたのが愛育班でした。その際に「もう、ただただ何かできないかと。すぐにみんなで材料を持ち寄って集まろうと思いました」というお話を伺い、この皆さんの思いを大切にしようと思いました。

―愛育班の活動について、どのような思いを抱かれましたか?

「人生を楽しんでいる、人生と向き合っている」。大げさに聞こえるかもしれませんが、お話を伺っていてそう思いました。その時、ギャル(橋本さんの役柄)という物語の要素は考えていましたが、根底に流れるその精神は、実は一緒なのではと思いました。

―視聴者にはドラマを通して、どのようなことを感じてもらいたいですか?

今や日本中で「災害」を意識するようになったと思うのですが、30年前はまだ誰も何も知らない、分からない状態だったと思います。そんな中、愛育班の方々をはじめ、被災地の周りの人々が、何か手助けできたらと「おむすび」を握って届けてくれた。その気持ち、精神を、この物語でも大いに届けたいと思って制作してきました。皆さん自身の中にある「支える」という気持ちを、このドラマをきっかけに感じていただけると幸いです。

「おむすび」のタイトルにひおき愛育班の活動が結びついていることについて、藤木さん(95)=小中=は、「最初聞いた時は、『まさか』と思いましたねえ」と驚く。

当時の活動について、「みんな気持ちが暗くなりそうな中だったけれど、『温かい心を届けよう』と言いながら、手を真っ赤にしておにぎりを握った。必死だった」と振り返る。あの時、おにぎりを受け取った人の孫から、「おじいちゃんがお世話になりました」と、今も年賀状が届いているという。

震災の悲惨さに胸を痛めつつも、「私が一番うれしかったのは、日本人がもともと持っていた『困っている人を助ける』という気持ちがよみがえったこと。震災を知らない世代も増えてきている。つないでいかないと」とかみしめ、「班員だけでなく、届けてくれた社会福祉協議会、会場を開けてくれた行政、班員の活動を支えてくれた家族、地域、みんなの協力があったからこそできた。(活動がドラマのタイトルにつながったことで)丹波篠山がそんな素晴らしい場所だと知ってもらえたらうれしい」と涙を浮かべていた。

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