重い障がいがありながらも、世界を舞台に活躍するスウェーデンの歌手、レーナ・マリアさん(56)のコンサートが、兵庫県丹波篠山市の田園交響ホールで開かれた。同市内で福祉事業所を運営する一般社団法人「みずほの家」の主催。透き通った美しい声がホールいっぱいに響きわたり、ハンディキャップをものともせず、自由に、高らかに歌うレーナさんの姿に、誰もが惜しみない拍手を送った。前日には、同法人の10周年記念式典でレーナさんが講演。要旨をまとめた。
私は幸せです。皆さんはここにいます。神様はここにいます。日本に来ることができて、とてもうれしく思っています。
1968年の9月、朝8時に私はこの世界に誕生しました。生まれてすぐ私に腕がないこと、左脚が右側の半分ぐらいしかないことが分かりました。また、出産に長い時間もかかったため、心臓がとても弱っていて、生きられるか分からないと心配されました。
私たちは生まれる時に「選択」することができません。どこで誕生するのか、どのように育てられるのか、どのような見た目をしているのか。何も選べないのです。でも、神様は素晴らしい方です。私に素晴らしい両親を与えてくださいました。
障がいのある私は子どもの頃、多くのことをやってみたけれど、できなかったことがたくさんありました。そんなとき、両親はいつも、「他のことをやるのか、もう一度それにトライするのか、どちらかあなたが選んでやってごらんなさい」と言ってくれました。
どういうことに努力し、強みを発揮していくのかということを自分で選択できるように道を与えてくれたのです。私たちは生まれてから今までずっと、そしてこれからも毎日、選択を迫られます。言い換えれば、毎日が新しい人生の始まりなのです。
喜び、悲しみ、幸せ、痛み。素晴らしい太陽の輝き、最低な暗闇。そういうものが全て、私たちの人生の中に起きます。けれど、私は大変な時の中にも何か良いことがあるのではないか、何かここから素晴らしいことが出てくるのではないかと思ってきました。
そして、何を自分が持っているのかということを考え、何を持っていないのかはあまり考えないようにしました。そして、自分の持っているものを使って、周りの人たちや友人、社会に何か貢献できないかと考えています。
【レーナ・マリアさん】 大きなハンディキャップを持って生まれてきたものの、3歳から水泳を始め、1988年にはソウルパラリンピックに出場。また、5歳から聖歌隊で歌い、ストックホルム音楽大学を卒業したことから、音楽で生きることを決意して水泳選手を引退した。98年の長野パラリンピックの開会式で歌声を披露したほか、世界中でコンサートを開き、「愛のゴスペル」を響かせている。