令和8年(2026)は、昭和元年(1926)から数えて満100年。戦後復興、高度経済成長などにおける、さまざまな出来事の中で日本が大きく発展した昭和の時代。一方、「平成」「令和」と時が流れるにつれ、古き良き時代というような懐かしさも込めて「昭和」が使われることが散見されるようになった。そこで、兵庫・丹波地域の「楽しかった昭和」にスポットを当て、当時の“アルバム”の一部をひもといた。時代の再発見と、輝かしい未来につながることを期待して。
家庭用ゲーム機などが登場するまでの昭和の子どもたちは、群れて遊びに興じた。そんな日常が、当時の子どもたちの笑顔と地域のぬくもりを育んでいた。物の少ない時代だったからこそ、創意工夫と、仲間との絆が遊びを豊かにした。
昭和20―30年代頃の子どもたちが熱中した遊び「くぎ刺し」。休日や放課後、空き地や校庭に集まり、地面に向けて一心不乱にくぎを投げつけ、一喜一憂の歓声を響かせていた。
「(丹波篠山市)福住界隈では昭和40年初頭までくぎ刺しで遊ぶ光景が見られたかなあ」。遠い記憶をたどり懐かしむのは前田磯次さん(72)=同市安田=。くぎ刺しのルールは地域や年代によって違ったようで、大別すると陣取り型と弾き飛ばし型があったようだ。
前田さんの地域ではやったのは、陣取り型。地面に刺さるようにくぎを投げていき、くぎが刺さった所から次に刺さった所までの軌跡が分かるよう、直線を引く。くぎが刺さらなかったら順番を交代。次に投げる人は軌跡を横断しないよう、線の間を縫うように刺していく。互いに相手の行く手をさえぎるように刺していき、包囲された相手が行き場をなくし、ギブアップすると勝ちとなる。
くぎは入手しやすい3寸(約10センチ)くらいのものを使っていたという。地面に刺さりやすくするため、先端を砥石ややすりで尖らせたり、投げやすいよう、くぎの頭を金づちで潰したりして、カスタマイズにいそしんだそう。
「負けたら悔しい、うまくなりたい、とまた工夫を凝らすわけです。ただくぎを投げるだけ。すごく単純なルールだけれども、頭脳プレーを要求される奥深い遊びだった」と前田さん。「上級生にガキ大将がいて、くぎ刺しなどの遊びを通じて、良いことも悪いことも教えてもらった。低学年の頃は上級生の後ろを金魚のふんのように懸命にくっついて遊んだ。その際、理不尽なことを言われたり、やられたりして、怖かったけれど、それでも一緒に遊んだ。遊び方を教えてもらうことはなく、見て覚えた。そこには大人が介入できない、子どもだけの世界が出来上がっていたように思う」
くぎ1本から始まる遊びに、子どもたちの知恵と情熱が宿っていた。舗装された道に消えたくぎ刺しの跡は、今も前田さんらの心の中に刻まれている。





























