洪水対策で奉行所裁定 加古川流域の本郷・稲継と新郷 丹波市

2012.05.31
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 加古川がはん濫した際に被害を食い止める 「堤」 築造をめぐり、 江戸時代に本郷、 稲継村と新郷村との間でいさかいがあり、 奉行所が裁定したとする古文書を、 地元の郷土史研究家が現代語訳した。 現在、 県が高谷川床上浸水対策緊急事業として背割堤工事を進めている見田井堰 (せき) 付近で、 互いに築いた堤が争いの原因。 裁定では、 喧嘩両成敗ならぬ、 双方の言い分を認めている。 約300年前の江戸の昔から、 大水に苦しめられてきた史実が明らかになった。

 郷土史研究家の上島成和さん (77) =丹波市氷上町本郷=が、 「新郷村と本郷村・稲継村の新堤争論」 と呼ばれる、 1705年 (宝永2) の文書を訳した。 同地域を管轄していた京都奉行所への訴えの内容が記載されており、 上流、 下流の村どうしが互いに堤を築き、 自村が被害に遭わないようにしたことで、 紛争が起きたようすが詳細に記録されている。

 新郷は、 「上流の本郷、 稲継が川端に竹木を植え川幅を狭め、 下流の新郷への水かさが増した。 堤防を高くして田畑への冠水を防ぐ手立てをしたが、 本郷、 稲継の住民が堤防を切り崩した」 と主張。 本郷、 稲継は、 「竹や木は昔からあり、 新しく植えたものではない。 堤防を切り崩したとされるのは、 元の状態に戻したまで」 などと反論した。

 1706年 (宝永3) 3月7日に奉行所が下した裁定は、 ▽本郷、 稲継の新堤の築堤は認める▽本郷に新堤ができた時には、 新郷の堤も新堤に見合う高さにかさ上げをして良い▽3カ村、 特に稲継に多い川内に生えている竹木は、 刈り払う―といったもので、 「これ以後、 堤を修復する時には、 少しであっても3カ村納得の上で行え」 とした。

 上島さんは、 「ちょうど工事が行われている時でもあり、 関心を持ってほしい。 村を水害から守るために、 懸命に取り組んだ先祖の苦労を若い世代に伝えたい」 と話している。

 現代語訳と写真に撮った文書を額に入れ、 本郷自治会に寄贈。 同自治会が6月2日に開く歴史学習会で、 上島さんが資料を解説する。

 

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