織田信包像を寄贈・設置 50周年記念事業で 柏原ライオンズクラブ

2014.02.27
ニュース丹波市

 柏原ライオンズクラブ (上田勝正会長) は結成50周年記念事業として、 柏原藩の初代藩主、 織田信包 (のぶかね) の石像を丹波市に寄付することになり、 柏原町歴史民俗資料館横の庭園にこのほど設置。 3月4日にクラブ員ほか市の関係者やボランティアガイドの代表らを招いて除幕式を行う。 同像の設置は全国で初めてといい、 市内の新しい名所になりそう。

 石像は高さ1・25メートル、 幅1メートルの坐像で、 1・15メートルの台座に乗り、 織田家の紋の入ったかみしもを着ている。 豊臣秀吉から京都の寺に蟄居 (ちっきょ) を命じられた時期に描かれたという出家姿の肖像画が龍安寺に現存しており、 これを参考に画家の臼井邦昭さん (氷上町) がデザインした。 鼻筋の通った端正な顔立ちは兄の信長に似て、 堂々とした風格を備えている。 最高級と言われる庵治 (あじ) 石を使用し、 丹波総合石材 (柏原町) が製作した。 費用は262万円。

 信包 (1543~1614) は信長の弟で、 兄からの信頼が厚く、 織田軍団の中核として各地で参戦。 近江小谷城の浅井長政を討伐した際に、 長政正室だった妹の市とその3人娘の茶々 (後に秀吉側室、 淀殿)、 江 (ごう、 後に2代将軍徳川秀忠の正室) らを引き取ったことでも知られる。

 本能寺の変の後、 秀吉に従ったが、 一時不興を買ったといわれ、 津15万石を改易された。 その後、 慶長3年 (1598) に柏原藩3万6千石の藩主に復帰。 晩年は大坂城で秀頼の後見役となり、 柏原では家老の佐治一成に命じて治水や殖産興業に努めた事績が残されている。

 上田会長は 「信包は重鎮だったにもかかわらず、 地味な存在だったが、 近年は小説や映画で優れた人物として描かれるようになり、 注目を集めている。 柏原藩でも立派な仕事を残しており、 それを顕彰することが当クラブの記念事業としてふさわしいと企画した。 信長像は各地にあるようだが、 信包は恐らく初めてと思う」 と話している。

 

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