先の大戦末期に航空戦艦「日向」の機銃射手を務め、米軍の攻撃で左目を失明、その後右目の視力を失い全盲となりながら、晩年川柳を趣味とした兵庫県丹波市青垣町の故・山中喜平治さん(享年95歳)の遺作を偲ぶ作品展「戦傷を縦糸に、穏やかな日常を横糸に」が、丹波の森公苑(同市柏原町)で開かれている。「五七五」に、終戦から70余年を過ぎてなお、往時の生々しい戦争経験を詠んだ作品や、穏やかな生活雑感を詠んだ30句が展示されている。8月31日まで。無料。
亡くなるまで所属した「大名草(おなざ)川柳会」が、一周忌に合わせて企画した。
山中さんは、1944年「日向」でフィリピン・レイテ沖海戦に従軍。乗組員約1000人のうち800人を超える死者、重軽傷者を出した45年7月24日の呉軍港空襲で左目を失明、血だるまになり2日後に意識を取り戻した。その後、故郷に戻り、静かに暮らし昨年7月に亡くなった。
妹の山口逸子さん(85)の勧めで、90歳で同会に参加。毎月の例会にほぼ2句ずつ、亡くなる直前まで6年間で95句を寄せた中から、同川柳会主宰の足立剛さん(80)が選句した。
「もの言わぬ彼岸の戦友夢に出る」「霊前に続くと待たせ七十年」「靖国の弟に東亜(いま)を伝えたい」など、戦死した戦友、弟への思いを詠んだ句や、「年寄りは元気なだけで喜ばれ」「しわくちゃでも心が綺麗ばあさんは」など、平和な現在の心境や生活雑感を詠んだ句が交錯する。
足立さんは「五月晴れただ美しく飛行雲」を、不戦の心が凝縮された代表句とした。「日本晴れの空。小さな機影が銀鱗を光らせ真っ直ぐに白線を描いていく。さえぎるものもない大空を美しいと感じる私だが、七十年前は敵機に備え、厳しい眼光で南の空をにらんでいた。再び、戦火で空を焦がしてはならぬ。不戦の心が十七音字に凝縮されている」と評した。
例会の前の週に山中さんをたずね、句を口述筆記した山口さんは「視力を失った分、失う前の戦時中の事をよく覚えていたんだろうと思います」と静かに話した。