“特攻隊の生みの親”と言われる、兵庫県丹波市青垣町出身の大西瀧治郎が旧制中学校時代に書いた作文が収録されている雑誌が、母校の柏原高校(同県丹波市柏原町)に保管されている。
大西は明治24年(1891)生まれ。作文を書いたのは旧制柏原中学校2年生の時で、14歳だったと思われる。作文のタイトルは「櫻を見る記」。のちに特攻隊をつくった大西が、少年期に大和魂の表象でもある桜を取り上げて作文を書いているのは印象的で、その後の歩みを暗示しているかのようだ。
作文は次のとおり。
吉野の「桜」題材に
日は、うらうらと、木々の若葉にてりそひ、風そよそよと、面をふきはらひ、人の心も自からうき立つ頃、母上につれられて、吉野の山に花見むとて行きたり。我れ等の外に見物人も、いと多く、茶店の縁も、腰うちかくる餘地もなし。時こそよけれ、櫻花は今を盛りと咲き揃ひ、遠くより望めば、霞萬山を立ちこめしかと思はれ、近く眺むれば又一しほ美しく、海外諸國の花の王も、之には及ばざるべく、古人の「これはこれはとばかり花の吉野山」と歌ひしも、げにとこそ覺えたれ。百鳥は梢に舞ひ歌ひて、我れ等を迎ふるか、はた蝶のまふをはやすなるか、花よ蝶よと思ふまに、此の日もいつか暮に近づき、日は西にかたむき、一陣の山嵐さつと吹き来るや、花はあはれや、木木の梢に散り落ちて、波かはた雪か、身邊なにとなく冬心地し、あたり寂たり。我れは五百年の其の昔、南北朝の戰のことなど聯想し、につくき足利尊氏かなと、思ふ居りしも、入相告ぐる鐘のひびきに忽ち起る花吹雪。
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「破戒」大江礒吉発足の学友会の雑誌に収録
この作文は、明治39年(1906)6月発行の「学友会雑誌」第7号に収録されている。学友会は、今でいう生徒会組織のようなもので、生徒らの原稿を収録した雑誌の発行もしていた。
なお、学友会は明治35年7月の発足。柏原中学校の2代目校長、大江礒吉が心血を注いで発足させた。大江は、被差別部落出身の教師を主人公にした島崎藤村の小説『破戒』のモデルになったと言われる人物で、自由で平等を尊ぶ教育を推し進めた。