陸上自衛隊化学学校長 秋山一郎さん

2003.06.08
たんばのひと

浪花節で世界相手に
陸上自衛隊化学学校長 秋山一郎さん (さいたま市在住)
 
(あきやま・いちろう) 1949年 (昭和24年) 春日町棚原生まれ。 県立尼崎高校、 防衛大学校卒業。 71年陸上自衛隊入隊。 74年~79年イリノイ大学大学院。 97年~2000年OPCW査察局長。 理学博士。
 
 昨夏、 自衛官では初の国際機関の局長ポストである化学兵器禁止機関 (OPCW)の初代査察局長としての勤務を終え、 オランダのハーグより帰国。 「最初3年の約束だったのですが、 トップの要請で5年に延びました」という。
 57カ国230人の部下に日本人の 「浪花節流統率」 が受け入れられた。 「いくら口で 『手柄は君たちのもの、 失敗の責任は負う』 と言っても実行しなければ信じてもらえませんから」。 マル秘の書類をファクスで間違った宛先に送信した部下のミスを身を挺してかばい、 年に2回自腹を切って部下のために慰労パーティを開いた。
 在任期間中42カ国に対し、 1200回を超える査察を実施。 日本でもオウム真理教サティアンが現地査察対象となったそうだ。 今回のイラクの大量破壊兵器査察には加わらなかったが、 「隠されているのがいずれ発見される」 と確信がありそう。
 帰国後は、 陸上自衛隊化学学校長兼大宮駐屯地司令に就任。 自衛隊内外からの要請で、 国際経験を踏まえた講演も数多くこなしている。 「日本人は平和が常態と思っていますが、 国際政治は国益優先の冷徹な競争理論で動いていて、 自国の国益は自国で守る気概がなくてはなりません」 と力説する。
 学園紛争が華やかだった高校時代、 勉強そっちのけの学生運動に反発し、 防衛大学校に進学。 入隊後、 技術幹部養成の方針によって5年間イリノイ大学大学院に留学した。 「当時日本には自衛官を受け入れる大学院がほとんどなく、 やむなくアメリカへ行きましたがこれが私のキャリアには幸いしました」。
 代々庄屋を務めた旧家の長男に生まれたが、 ビジネスに転身した父親の転勤で近畿各地を転校した。 丹波は四歳まで。 「懐かしい思い出があり、 今も両親の墓参りによく帰郷します。 山深い土地柄でも、 このグローバル時代には無防備ではいけませんね。 どんなに平穏な田舎にも危機がやって来ると、 半面身構えていなければならない時代なのです」
(上 高子)

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