「エアーズロックのような岩がある。大きさは比べものにならないほど小さいけれど、どことなく異様」―。そんな情報が入ってきた。兵庫県の内陸部にある篠山市のそのまた東部、安口集落を東西に走る国道372号沿いの北側に鎮座する黒っぽい岩山。台形をした山容は、確かに本家オーストラリアのエアーズロックのミニチュア版のよう。岩の正体を探ってみた。
海洋プレートに乗って運ばれ
標高約10メートル、すそ野は東西に約35メートル、南北に約40メートル広がっている。地元では「経塚山」と呼ばれ、安口自治会の所有地だ。
地史に詳しい樋口清一さん(82)=同市畑市=によると、正体は地中から露出した「枕状溶岩」という。枕状溶岩とは、海底で玄武岩質の溶岩が噴出したとき、熱い溶岩が海水に触れて急激に冷やされ、歯磨き粉をチューブから絞り出したような円柱状の塊となり、それが少し横につぶれて枕のような形になって積み重なったもの。兵庫・丹波地域では唯一の存在だそう。
この枕状溶岩を含む地層は丹波帯と呼ばれ、県南東部から京都府、滋賀県にかけて分布。古生代石炭紀の終わり頃(3億年前)から中生代ジュラ紀の初め頃(1億8000万年前)にかけてつくられたチャートや石灰岩などの堆積物が含まれている。これらの堆積物は海洋プレートに乗って太平洋側から運ばれてきたものと考えられる。
20年近く前に調査を行った人と自然の博物館の研究員も「丹波地域の地史を学習するうえで貴重な教材となる枕状溶岩をわかりやすい形で見ることができ、道路そばにあってアプローチしやすい場所にあるので大変重要なものだと考える」と説いている。
元は5倍のサイズお宝発掘調査も
経塚山のそばに暮らす土井忍さん(77)や地元住民によると、もともと経塚山は、これより5倍ほどの体積があり、上から見ると楕円形の山だった。土井さんは「幼いころの遊び場だった。チャンバラをしたり兵隊ごっこをしたり。雪が降れば、山頂からソリで滑り降りて遊んだもの」と懐かしむ。
経塚山の西側にかつて安口城が存在していたため、「城のお宝が眠っているのでは」と、昭和30年代、近所の男性が山頂部分を発掘したことも。1年近くかけて掘られたが、結局は徒労に終わったという。
ふしぎな縁? 山で火伏せの祭り今も
山容を大きく変える出来事が昭和60年代にあった。経塚山の目の前を走る国道372号のバイパス整備の際、アスファルトの下に敷く基盤材料にこの経塚山が使われたのだ。ショベルカーで掘り取られたが、一部分があまりに硬く、ショベルカーでは歯が立たなかった。掘り残された部分が現在の経塚山をかたちづくった、というわけだ。
往時の5分の1程度にまで小さくなってしまった経塚山だが、この場所では古くから、毎年8月24日に「愛宕さんの火祭り」の神事が行われており、現在に引き継がれている。般若心経を唱えながら送り火を焚く神事で、当時は山頂で神事を営んでいたが、エアーズロック状態になってからは、掘り取られたため、ふもとに広がった広場で行うようになった。
愛宕は火伏せ、火災を防ぐ神様。一方、経塚山は灼熱の溶岩が冷え固まってできたもの。何かの縁を感じずにはいられない。