今月11日、滋賀県大津市の近江神宮で開かれた小倉百人一首競技かるたの「第66期名人位決定戦」(全日本かるた協会主催)。兵庫県丹波篠山市乾新町出身で元名人の岸田諭八段(32)=京都市、篠山かるた会=が、粂原圭太郎名人(28)=同、京都大学かるた会=に挑戦し、頂上決戦にふさわしい激闘を繰り広げ、一時は岸田さんが名人を追い詰めたものの一歩及ばず、5年ぶりの返り咲きはならなかった。準名人となった岸田さんは、「応援していただいた人に申し訳ない気持ちでいっぱい」と首を垂れつつも、「丹波篠山でかるたをする子どもたちに、挑戦する姿を見てもらえたならうれしい」と笑顔で話した。
競技かるたは、札を覚える記憶力、いち早く札を取る瞬発力、それらを長時間にわたって維持する集中力など、まさに「心技体」が求められ、”畳の上の格闘技”とも言われる。名人戦は3本先取したほうが勝利する方式で行われた。
令和初の名人戦は、1回戦から白熱した五分五分の名勝負になり、最後は互いに自陣の札が1枚のみの「運命戦」に。98枚目で岸田さん側が詠まれると”ノールック”で札を払い、ブランクを感じさせない強さと、予選から3戦連続で「運命戦」をものにする強運を見せつつ、勝利を収めた。
2回戦は序盤から粂原名人のペースで進み、一時は8枚差をつけられたものの、名人の「おてつき」などを絡めて岸田さんがじりじりと追い上げ、最終的には3枚差で勝利。解説の西郷直樹永世名人も、「かるた以外にもいろんな経験をされ、とても大人になっている」と評し、名人位返り咲きに王手をかけた。
ところが3回戦は再び五分五分の勝負で、名人が2枚差で奪取した。これで調子を上げてきた名人は、4回戦になると岸田さんを圧倒。焦りからか岸田さんもおてつきを出すなど追い上げきれないまま5枚差で敗れ、最終戦にまでもつれ込むことになった。
その後も名人の勢いは止まらず、5回戦は13枚差をつけられ、苦杯をなめた。
昨年、名人位に就いた粂原名人は今回が初めての防衛戦。歴代名人の初防衛戦は、これまで全勝となっており、岸田さんもジンクスを破れなかった。
岸田さんは2013年、兵庫県出身者として初めて名人位に就き、2度の防衛を含めて3期にわたり、名人の座を守った。16年の防衛戦で敗れ、返り咲きを狙っていた。
惜しくも名人戦に敗れた岸田さんが、試合後、丹波新聞社のインタビューに答えた。
―試合を終えて
粂原名人独特のスタイルに苦しめられた。コンディションは悪くなかったけれど、スタイルの違いから来るストレスを制しきれなかった。悔しさの残る試合だった。
―一時は名人位に王手をかけた
昨秋から本格的に練習を始め、新しくできるようになった技など、1、2回戦は力を出し切ることはできた。そこは満足している。
―敗因は
粂原名人は昔から知っていたが、レベルアップしていた。ただ、こちらも音の感覚や体力では負けていなかった。最後は名人の執念が勝ったと思う。自分には『汚くても取りに行く』というほどの執念がなかった。
―また名人位を狙うか
『来年もがんばって』という声はたくさん頂き、本当にありがたい。しかし、本格的に練習するためにはいろんなことを犠牲にしないといけないので、正直、今のところは何とも言えないのが本音。しばらく悩みたいと思う。
―家族も試合を見守った
練習のために家族の時間を作れなかったり、迷惑をかけた。けれど、もうすぐ2歳になる息子も見に来てくれ、思い出には残らないかもしれないけれど、『お父さんは胸を張って戦っていた』ということを見せられてよかった。それが今回の一番の収穫かもしれない。
―地元からも応援が駆け付けた
名人位に返り咲く姿を見せたかったので、本当に申し訳ない。丹波篠山でかるたをしている人にとって、自分が名人戦に出たことで何か刺激になればうれしい。