東日本大震災の発生から3月11日で丸9年となる。地震だけでなく、豪雨など各地で自然災害が頻発する時代。そんな中、阪神・淡路大震災を経験し、「東日本」の支援にも携わったことから、神戸市を拠点に「防災」と「音楽」を組み合わせた活動を行っているユニットがある。シンガーソングライターの石田裕之さん(39)と、ボイスパーカッションの第一人者、KAZZさん(47)による「Bloom Works」(ブルーム・ワークス)だ。防災士の資格も持つ2人が目指すのは、防災を「文化」にすること。そして、防災で「食べていける」こと。思いを聞いた。
Bloom Worksの楽曲は、メロディーだけとらえれば、「J-POP」。しかし、その歌詞の中には「防災」の要素や社会への警鐘が織り込まれている。
身長の話かと思っていたら、災害伝言ダイヤルを伝える楽曲「171」。また、「FAKE」という曲では、「ちょっと待って 手を止めて」「共犯者になるかも?」などと、フェイクニュースやデマ拡散の危険性を訴える。「防災音楽フェス」の開催や講演活動にも飛び回っている。
震災がリアル感ない昔話に「これでいいのか」
―防災や災害との関わりは
KAZZ 阪神・淡路大震災で被災し、神戸市長田区の家は全壊。自分はあの日、たまたま近くの祖母の家にいて助かりました。
夏になって屋台村ができ、アカペラグループをしていた自分は、そこでボランティアで歌い始めたんです。そうすると、たくさんの人が喜んでくれた。あんな大変なことがあったのに、人を喜ばせることができ、「歌の力ってやばい」と思った。そして、プロになることを決めました。
被災したこともあり、ライブをしながら語り部もしていました。はじめのうちはみなさん熱心に話を聞いてくださったけれど、震災後20年を越えてくると、聞く人の中には当時、生まれていない人が増え、まるでリアル感がない昔話のようになっていった。
東日本大震災が発生し、近い将来には南海トラフ巨大地震が発生すると言われている中、「これでいいのか」と自問し、一念発起して当時組んでいたグループをやめ、兵庫県立大学大学院の減災復興政策研究科に入った。それが防災の入り口ですね。
石田 私も阪神・淡路がきっかけ。自宅は神戸市だけれど、被災の程度が軽かったため、中学校の生徒会で街頭募金をしました。そのとき、大人から「ありがとう。おっちゃん、元気が出たわ」と言われたことが印象に残っています。
高校、大学で音楽にのめり込む中、震災は完全に過去のものになってしまっていたけれど、シンガーソングライターとして地元で活動すると決め、最初に「何から始めるのが自分らしいか」と考えたとき、地元に愛着を持つきっかけになったのが震災だと思った。初めての曲をリリースするタイミングは「神戸ルミナリエ」が開かれている12月にし、鎮魂の灯りが資金難と聞いて、収益を寄付しました。
そんな活動を知った人にいろんなことに誘ってもらい、災害や防災との関わりが増えていった。
―震災が活動の原点になっている。「とらわれている」とも言えるのか
KAZZ 確かにそうかもしれない。でも、自分はたまたま助かったので、「生かされた命」という思いが強い。生まれ育った長田区はみんな「同じ飯を食う仲間」という意識があったので、生かされた分だけ返したい、そして、いろんなことを楽しみたい、という思いがある。震災や防災を後世に継ぐことが、返し方だと思っています。
石田 東日本大震災後、100回近く東北や熊本などに足を運び、歌を通したボランティアをしてきました。被災地でのたくさんの出会いに心が動かされ、それがなければ今の自分はいない。言葉は悪いかもしれないけれど、震災のおかげでたくさんの経験をさせてもらっていると思います。
約22万人の死者を出した2004年のインドネシア・スマトラ沖地震で、震源地近くにもかかわらず、わずか7人の犠牲者しか出なかったシムル島。その島に伝わる叙事詩「ナンドン」の一節として歌い継がれている「スモン」が人々の命を救った。
スモンの歌詞は、「大地が揺れた時 海の水が引いた時 すぐに逃げなさい 逃げるところは高台 見なさい 海があなたたちのすみかを壊すところを」。
ニッチな存在 引かれない「防災」を
石田 人と防災未来センター(神戸市)でその存在を知り、「音楽で命を守る」スモンを、自分の目で見たいと昨年、飛行機を4回乗り継いで島を訪れました。
スモンによって命が救われたことを単なる「成功事例」で終わらせるのではなく、防災と歌をする者として、日本でも知ってほしいと思った。
日本では東北地方に「津波てんでんこ」(津波のときにはてんでばらばらに逃げろ)という言葉が伝わる。それは「言葉」で、非常に大切な「教訓」。けれど、日常会話の中にはなかなか出てこないものでもある。
民族音楽のスモンは誰もが親しみやすいメロディーで、生活の中に溶け込んでおり、田植えや収穫、結婚式などさまざまな場面で歌われる。知らず知らずのうちに防災が身に付く。これは音楽ならではだな、と。
KAZZ スモンにはさまざまなバリエーションがあり、もとは同じなのに「形を変える」ということは、「カルチャー」の証拠。つまり、歌を通した防災が自然と「文化」になっている。これは自分たちが目指している最終形態です。
―防災を呼び掛ける方法にはさまざまなものがあるということか
石田 豪雨災害が頻発する中、1000人に避難を呼びかけても3人しか動かないというケースがあり、防災関係者は、残り997人を動かすためにはどうしたらいいかと悩んでいる。
自分たちは音楽を通した防災を目指しているけれど、いわゆる「啓発ソング」で、行儀が良すぎたり、押しつけがましくなるとなかなか広まらない。曲自体がポップスとして成り立ち、その中に防災も入っているようなものが理想です。
KAZZ 防災と音楽を組み合わせているアーティストは少なくて、自分たちはニッチな存在。だからこそ見てもらえる面もあるが、ニッチ過ぎると見てもらえないし、「防災」ばかり言っていると「気持ち悪い」と引かれてしまう。バランスが難しい。
人の命にかかわる防災 「食えないとおかしい」
―以前、活動がインターネットの記事に掲載された際、「防災を食い物にしている」という趣旨のコメントがあった
石田 ありましたね。まぁ食えていないのが現実ですけれど…。けれど自分たちはともかく、防災関係の人々が防災で食えない状況があり、おかしいと思っている。むしろ防災がきちんとした市場になり、食えるようにならないといけないと思います。
―どういうことか
KAZZ 防災を学んだ人の仕事先が少ないんです。自分も防災を学ぶ中で、「防災では食べていけない」と言われたことがあります。逆に言えば、「防災で食えている」ということは、防災がマーケットになっているということ。つまり、防災で食べていけるほど広まっているという証拠だと思います。防災は多くの人の命にかかわることなので、本来は市場になっていないといけないはず。
先ほど、自分たちはニッチな存在だから見てもらえると言いましたが、目指すところは、防災をやっていても「普通」という状況。矛盾しているけれど、あいさつのように当たり前に防災がそこにある生活になればいいと。
―今後の活動の展望は
KAZZ 防災は何でも組み合わせることができるんです。音楽、映像、危機管理、公的機関の役割、ボランティア、記憶の継承、心のケア、歴史、自然―。挙げればきりがない。自分たちなりのおもしろい切り口で、「これも防災」と言いたいですね。
石田 「こんなやつらでも防災をやっている」となれば、これまで入りたくても入れなかった人々が防災に関わってくるかもしれないですしね。
―新型コロナウイルス肺炎の拡大、また、それに伴う風評やデマ、自粛、非難の応酬など、”災害級”ともいえる空気が全国を覆っている
KAZZ 安全第一は絶対。さまざまなイベントが自粛になることも仕方がない。ただ、ライブハウスで感染が確認されたこともあり、自分たちのようなアーティストにとっては正直、一番きついです。個人事務所でやっているアーティストにとっては絶滅の危機ともいえるほど。
ただ、どうにかして生き延びようとします。4月に予定していたイベントもインターネットを使った配信フェスに変えました。そして、配信フェスがいつか屋外で行うフェスにつながるようにしたい。
石田 一連の混乱は災害発生時にとても似ていると思います。そして、今回のコロナも収束すれば「のど元過ぎれば」で忘れてしまう可能性が高い。しかし、こういうことが起こりうることを想定しておくことは大切。だからこそ怖がらせるような啓発ではなく、苦にならず、楽しいと思えて繰り返し聞ける歌を歌っていきたいと思っています。