江戸期の香典は3文(400円)? 質素な額、米や線香も 水運関係で下流域からも会葬 香典帳5冊見つかる

2020.10.14
歴史

江戸時代後期から明治時代の香典帳5冊と徳田さん=2020年10月3日午前9時49分、兵庫県丹波市柏原町母坪で

江戸時代後期の香典帳4冊と明治時代の香典帳1冊が、兵庫県丹波市柏原町母坪の旧家の土蔵から見つかった。徳田八郎衛さん(82)=千葉県浦安市=が、実家の土蔵にあったのを見つけ、草書で書かれているのを知人の書家の協力を得て解読。それによると、近隣の村からの会葬者の香典は全て3文で、「今のお金にすると400円ほどか。質素だったことが分かる」と徳田さん。江戸時代初期まで母坪にも加古川水運の舟座があったと伝わり、加古川の下流域と交流があったためか、下流の地域からの会葬者も散見される。見つかった香典帳は庶民史にとどまらず、加古川水運の歴史解明にとっても貴重な資料といえそう。

徳田さん方は代々、庄屋をつとめ、「八郎兵衛」を襲名していた。5冊の香典帳は、▽宝暦7年(1757)、2世八郎兵衛▽安永6年(1777)、2世の妻▽文化2年(1805)、3世八郎兵衛▽文化12年(1815)、4世八郎兵衛の妻▽明治16年(1883)、5世八郎兵衛。

3文の香典は江戸時代の香典帳に見られるもので、徳田さんは「幕府が木賃宿の宿泊料を3文に統一したのと関連があるのだろうか」と推測。また香典帳には、線香やロウソク、米、みそ、茶、煮しめ、梅なども記され、お金に代えて物品を供えていたことが分かる。名前と住所を記し、「香典なし」と書かれたものもある。

一方、庄屋だった徳田さん方は村内で一目置かれたためか、母坪村の25戸の香典は最低でも銀札3―5匁。今の5000円に近く、高額になっている。

加古川水運は、丹波の米や茶、マツタケなどを高瀬舟に載せ、兵庫県多可郡田高村、加東郡滝野村、高砂で積み替えながら大阪へ送り、帰路に瀬戸内の産物を持ち帰った流通システム。この水運でつながったためか、加古川下流域の村々からの会葬者が香典帳に記されている。遠くは滝野村(現加東市)からの会葬もあり、2世の葬儀では、ミカン60個とタラコ10セットをお供えに持参。黒田庄舟町(現西脇市)からの会葬は、時代が下っても途切れなかった。「加古川下流と、徳田家や母坪村との間に結びつきがあったことを物語っていると思う」と徳田さん。

香典帳に記された名前がもっとも多かったのは2世の葬儀で約230人。2世妻の葬儀も200人を超えていた。

徳田さんは、「市教育委員会に寄贈したい。加古川水運の史料として来年春に開館する水分れフィールドミュージアムで展示公開してもらえれば」と話している。

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