巨岩見たらお腹痛い? 「赤鬼」配下の城主自害の場 光秀猛攻の現場を児童見学

2020.11.01
ニュース丹波市地域地域歴史

「監物岩」に登った児童たち=2020年10月29日午後2時48分、兵庫県丹波市市島町上鴨阪で

兵庫県丹波市の前山小学校6年生11人がこのほど、同校区内にあった山城「余田城」の城主・余田監物為家が自害した場所と伝わる「監物岩」を見学した。

天正年間、織田信長の命を受けた明智光秀が、「丹波攻め」を繰り広げた。同3年、丹波国に覇を唱えていた「丹波の赤鬼」の異名を持つ黒井城・赤井(荻野)直正との戦いでは、直正が光秀軍を挟み撃ちにする戦法「赤井の呼び込み戦法」を展開し、光秀は敗走。光秀は同6年、再び黒井城を攻め、直正を病で失っていた赤井方は敗れ、黒井城は落城した。

丹波攻めの際、赤井直正に従っていた為家も攻められ、余田城に火を放った後、黒井城に向かう途中で明智勢に追われ自害したと伝わる。

監物岩は、余田城とは向かいの山中にあり、巨岩の上が平らになっており、地元では「切腹岩」などとも呼ばれている。

麓から数百メートル登ると、高い所で8メートル、幅10メートルほどはあろうかという巨岩が現れ、児童たちは「でかいなぁ」などと驚きの声を上げた。

城主が命を絶った神聖な場所であり、荒らさないようにする意味合いか、地元では監物岩に行くとお腹が痛くなるとも伝わっているという。事前に言い伝えを聞いていた児童たちは、互いに「大丈夫やんな」などと確かめ合っていた。

余田城跡の麓に住む男子児童は、「先祖かもしれない人が亡くなった場所かと思うと複雑」と神妙な面持ち。別の男子児童は「余田城が焼けるのを見ながら自害したとしたら、よく見えただろうなと思った」と話していた。

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